他人の失敗を謝罪する

今まで何ひとつ失敗なく完璧な人生を歩んできた人はいない。

そしてその失敗に対し、後悔したり謝ったりしたことのない人もいないだろう。

しかし思えば、基本的にそれらはすべて自分自身の責任であった。だから反省するにしろ謝罪にするにしろ抵抗感がない。自分のしたことなのだから、嫌でも納得できてしまう。

先日、私の会社のスタッフがとんでもないミスというか事故をやらかしてくれた。言うまでもなく、スタッフは他人で、私ではない。

しかし私は会社の代表である。なので、最終的には私の責任である。わかっている。子供ではない。監督不行き届きで私の責任だ。それでも、心の底では、私がやったんじゃないと思ってしまう。私は無実なんだと泣きたい気持ちにもなる。

わかっている。そんな考えは幼稚だ。なんとか銀行のシステムトラブルと同じで、最終的な謝罪の場に派遣社員なんか出てこない。ちゃんとしっかり偉い人が出てきて、腰を折って惜しげもなく禿頭にフラッシュを浴びせられる。

これが我が子だったらと考える。ある日、愛する子供が何かいたずらを、あるいは犯罪をおかす。菓子折りを持って謝りに、最悪の場合は警察へゆく。

よほどの毒親でない限り、自分ではない子供の犯した罪だとて、まさに我がことのように悔いて謝罪するはずだ。そこにはきっと愛がある。

しかし会社のスタッフというのは、赤の他人である。愛もない。情もない。究極、金銭関係でしかない。

とにもかくにも私は謝った。ひたすらに謝った。途中から、いったい何に対して謝っているのかわからなくなってきたが、よくよく考えれば、突き詰めれば金のためでしかない。

金でつながる関係というのは、保険金殺人よろしく、しばしば殺意と結びつくものらしい。これほど人のことを死ねと思ったのはいつぶりだろうか。

ふと、自分のやったことではない他人の失敗に対して謝罪するのは、生まれてこのかた40年、まったく初めてなのだということに気がつく。

人間に生まれついて、味わうことのできる喜怒哀楽のすべては理解した、酒もセックスも十分やった、だからもういつ死んでもいいと常日頃から思っていたが、まだ初体験が残っていたものか、というのはどうでもよくて、やっぱりもう死にたい。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

ご支援のお願い

もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。

Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com

Amazonほしい物リストで支援する

PayPalで支援する(手数料の関係で300円~)

     

ブログ一覧

  • ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」

    2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。

  • 英語日記ブログ「Really Diary」

    2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。

  • 音声ブログ「まだ、死んでない。」

    2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。

  • 読書記録

    2011年より開始。過去十年以上、幅広いジャンルの書籍を年間100冊以上読んでおり、読書家であることをアピールするために記録している。各記事は、自分のための備忘録程度の薄い内容。WEB関連の読書は合同会社シンタクのブログで記録中。

  関連記事

みんなが働くわけ

いろいろあって職場が変わった。 まあ、私の人生はだいたいいつもいろいろある。とは ...

釣り場を変えれば

さるギャラリーからお声がかかる。とはいえ降って湧いた類のものではなく、私の売り込 ...