オランダのカフェというか、バー、または居酒屋

本当は自分の内にある心情をだらだらつらつら思春期ばりに吐露しようと思ったのだが、あれは思春の渦中にある者だけに許された行為ではなかろうかと思い直す。

とか言いつつ、批評の神様小林秀雄よろしく「評論とは、他人の作品をダシに使って自己を語る事である」という方向性で、つまり、なにげない日常で自分語りをしてやろうと思い、筆をとる。

最近は、毎日のようにバーに行っている。通っていると言った方が正しい。

以前は1円でも節約して全額投資に回して1分1秒でも早くFIRE(早期リタイア)したいとの思いから、毎日自炊して可能な限りの倹約に努めていたが、ふと「生きてる意味なくない? なんなら死んだ方がよくない?」という思いにとらわれたのである。

と言っても、毎日何千円も浪費するわけではない。ただ、ビールを二杯ほど飲む。店によって異なるが、高くても10EUR(約1370円)程度である。

文字通り毎日通ったとしてもせいぜい月に4万円程度で、しかもそこには必ずと言っていいほどプライスレスの発見がある。

いま一番のお気に入りは、家から徒歩3分ほどの場所にある「Johnny's Cafe」というお店である。店主の名前がジョニーであり、日本でいえば「ヒロシのカフェ」といったところだろう。

店主のジョニーとその妻のマリアは完全に私のことを覚えてくれて、行けばいつでもわざとらしいほどの笑顔で出迎えてくれる。

ふだん、一日中部屋にこもってひとりパソコンで陰鬱な気持ちで仕事をしている身としては、それだけでもう、喜びを超えて、もっと、救われたような心持ちにさせられる。この時点で10EUR払ってもいいくらいだ。

しかも、生ビールが10種類ほど、IPAにホワイトエールにダークビールと、私好みのラインナップが揃っている。

いつものカウンター席に腰掛けると、ジョニーが笑顔で聞いてくる。「さあ、今日はどうする?」

来るまでの道すがらに何を飲むかは決めてきているので、「Tank7, Alstublieft(タンクセブンをお願いします)」とか、オランダ語で言う。英語でも通じるが、郷に入っては郷に従え、その国に溶け込むには何より能動的な歩み寄りが大切だ。

そしてビールを飲む。店内から、外のテラス席を眺める。あるいは、カウンターの正面に並べられた酒のボトルを眺める。

ただ飲む。ただ眺める。ただそこにいる。スマホもいじらないし本も読まない。ただただ、ビールを飲んで、目の前の事物に意識を傾ける。

とはいえ、クソ面白くもない仕事のことが頭から消え去るわけではないし、残された人生をどう生くべきかという袋小路の思考が止まるわけでもない。しかしそれでも、何かしらが、私を満たしてゆくのを感じる。

ジョニーやマリアがやたら話しかけてくることもあるし、何も話しかけてこないこともある。その微妙な距離感がいい。

そこにいると、なんだか生きている感じがする。今、ここにいる価値があるような気がする。

ジョニーは私が決まって二杯飲むことを知っている。一杯目が空けば、間もなく次は何にするか聞いてくる。

「何かおすすめはありますか?」とうの昔に全種類飲んだことがあるのに、改めて聞いてみたりする。ジョニーはにわかに真剣な顔つきになって「おれのフェイバリットはこれだね」。勧められるがままにそれを頼む。

出されたビールを飲んで「グッド」と言って親指を立てて見せる。そもそもグッドとしか言う気がない。実際、すべてベリーグッドなのだ。

ふたたび、みたび、ビールで唇を濡らす。家で飲むペースからすれば考えられないほどゆっくりで、緩慢だ。ぼうっと、外を、中を、眺める。

まだ死んでいない気がする。まだ何かやれそうな気がする。

たかだか30分かそこらで、自分の中にあった痛みや苦しみが癒やされたことをはっきりと感じる。そして、「Mag ik de rekening(お会計をお願いします)」と言う。

しばしば彼は、帰り際になにかしら新しいオランダ語の表現を教えてくれる。それは「よい夜を」だったり、「また会いましょう」だったり、とにかくは私の知らない表現である。私はそれを愚直にリピートして、しかしうまく発音できなくて笑われる。

そんなこんながあって、たったの10EUR(約1370円)。タダみたいなもんだと、私は思う。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家/WEBデザイナー/合同会社シンタク代表。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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