あいつ、死ねばいいのに。

そう思うことがある。頻度と強度こそ違えど、誰でも一度や二度はあろう。ないという人は、もうこの先を読む必要がない。全然ない。

さて、この哀しき悪感情にからめ取られてしまう愚かな我々は、先へ進もう。

人間、生きていると無数の嫌なことがある。そのほとんどは人間関係だろう。もちろん足の小指をタンスにぶつけることなんかも嫌なことの一つには違いないが、取り立てて言うほどではない。あるいは「このタンス死にやがれ!」とキレる人もあろうが、その種の手合いはそもそも文章など読まないから考慮しない。

それでまあ、基本的に我々は誰かに対して「死ねばいい」と思う。しかし、その「死ねばいい」はずの相手が死んだことがない。残念である。たまには何かの拍子に逝ってくれてもよさそうなものを、ただの一度もないから面白くない。

にも関わらず、我々はまた性懲りもなく「死ねばいい」と思う。まったく無益なことだとわかっていながら、やっぱりどうして繰り返し思ってしまう。いや本当に、死ねばいいのに。

これは無駄を省き合理化を旨とする現代において、いかにもふさわしくない。そこではたと思い至る。これはひとつの文化なのではないか、と。

かつて不倫は文化だとうそぶいた人もあったが、確かに是非を超えてしぶとく存在し続けることは文化というものの一つの要件かもしれない。

たとえば、始業時間には厳しいのに、終業時間にはルーズである。飲み会の上座に下座、上司のグラスに気を配る。あるいはご祝儀の金額は奇数とし、香典に新札は入れぬこと。

あの文化この文化、くだらなくてどうでもいいと言えばその通りで、感じやすい若者なんかに疑義を呈されると慣習だとか伝統だとかで茶を濁すしかない。文化とは、本来的にそういうものなのだ。

そう考えると、「死ねばいい」と思ってしまうことをやめれられない我々は、なんと文化的なのだろうかということに気がつかざるを得ない。

だからかもしれない。私は誰にも「死ねばいい」と思ったことがないような人とは仲良くなれる気がしない。当然ではないか。この優れて文化的な私と、そんな文化度の低い野蛮人とが気が合うわけがない。

いっそ文化人である私は今日も思っている。あいつも、あいつも、あいつもみんな、死ねばいいのに。あなたも文化人ならうれしい。今度飲もう。

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