その痰を超えてゆけ

痰を吐く人が嫌いだ。ここで言う痰とは、何かの病状ではなく、主に中高年男性のやる「カーッ、ペッ!」という、例のアレである。

このクソ面白くもない俗世間を生きる者であれば、一度は聞いたことがあろう。そして誰もが不快な思いをしたことだろう。

「痰吐く人好きなんだよね」などという人には会ったことがないし、「実は私、痰フェチで」というような趣味も寡聞にして知らない。

そういうわけで、私を含め世間の大半は、痰を吐くような御仁とは距離を置きたいというのが偽らざる本心であろう。いっそ世論といっても差し支えない。

しかし私の場合、その御仁とは何を隠そう実の父なのである。しかも同居であるので、距離の置きようがない。

朝はもちろん、昼も夜も、彼はいつでも盛大に「カーッ、ペッ!」とやってくれる。こちらが食事中だろうがなんだろうが、洗面所から響いてくるのである。

正直、吐き気がする。あまり使いたくない表現ではあるが、生理的に無理だと感じる。寒気だってする。いや本当に。

しかし私は、決して父を嫌いなわけではない。なんなら好きであるし、もっと、尊敬だってしている。

ちなみに彼は喫煙者ではないうえ毎年人間ドックに行って胃カメラも飲んでいるので、何かの病気というわけではない。それで改善の要望はすでに家の者から数百万回は出されている。しかし変化の兆しはない。

そうなると、これを許容し受容する方法を考えるしかない。果てない嫌悪感を募らせてひとり勝手に苦しむのは、いかにも愚かである。もちろん私のこの感情は正論だと信じているが、正論は正義と同じく世の中であまり役に立たない。

とはいえ、いったい何をどうやって受け入れればいいのだろうか。たとえば解釈を変える。痰を吐くのは個性であって、多様性、流行りのダイバーシティか何かの一つだと理解する。

いやそんなものは個性でもなんでもなくマナーの問題だ。あるいはどこぞの奥地に行けば、痰で挨拶を交わすような文化もあるかもしれないが、ここは日本でしかない。

できることは多くない。ただ、人を変えるのは不可能でも、自分を変えることはできる。となると結局は「愛」に頼まざるを得ないのかもしれない。そう、彼にある好ましさ疎ましさすべてを呑み込んで愛する。

むろん、そんなことができれば苦労はしない。愛は無限ではない。むしろ貴重な資源で、減りもすれば尽きることもある。

幸い、まだ誰も家族であることをやめていない。母は家を出ておらず、私もまたしかりである。明日はどうか知らないが。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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