溺れない夢

夢なんてものは、持たないに越したことはない。

少年よ、大志を抱けなんてクラークは言ったが、なんのことはない、彼はちょっとばかり日本に教えに来ていて帰国間際だったから、そんな無責任なことが言えたのだ。夢は凡人にとってアヘンである。

一度でも夢を追いかけたことがある人なら誰でも知っているはずだ。否が応でも苦しむことを。少なくとも五年も追えば頑張ってるねと嗤われて、十年追えばすごいと皮肉られ、十五年も追えば何をやっているのか自分でもわからなくなる。夢から覚めた時のえも言われぬ不快感失望感は、眠って見る夢と同じである。

それでも夢こそ我が人生と信じてやまない人は、行くところまで行くしかない。

本当にその夢が実現可能なものならば、とにもかくにも具体的な計画がなければならず、そのプランは現在着々と進んでいるところでなければならず、少なくとも進捗状況が明らかでなければならない。だが、凡百の自称夢追い人は、十年前も今現在も、夢の前に突っ立って駄弁をふるうばかりである。

最近の若者はえらい。夢は夢であって現実ではないのだと理解して、行政や大企業に職を求める。実に賢明だ。素晴らしい。日本の将来は絶望的に明るい。

ただ、夢というものは、頭で追うものではない。本能にも近く、止むに止まれぬ衝動でもって、抑えきれず追ってしまうものなのである。

その証拠に、衝動は衝動であるので、ほとんどすべての人は途中で我に帰る。セックスのあとの賢者モードよろしく、ネットで見る誰かのスキャンダルくらい冷めた目で、自分の卑小さに戦慄するのである。

夢を追い続けているフリーターを見よ。大学を出た頃こそ大言壮語して勇ましかったが、今では生死すら知れない。そもそも夢は追ってはいけないのだ。夢想に夢精、夢見がちな夢の跡、夢のつく言葉にはろくなものがない。とにかくは夢を見たが最後、現実の一切がどうでもよくなってしまうのである。

危ない。危なっかしくて見ていられない。安易に夢を追うんだと啖呵を切って、周りもこんな時代だもの好きなことをやったらいいなんて囃し立て、上京はおろか海外にまで飛び出してしまう君のことが心配でならない。夢が覚めてからでは遅いのだ。

しかし中には変わった人もいて、夢は覚めてからの方がいいんだという人もいる。もっと、夢のない人生なんか人生ではないなんて放言する人さえいるから、人間わからないものだ。

ちなみに私は変わり者である。ついに夢から覚めない人もあるらしい。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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