言葉から抜き取られた血と肉は

  2020/06/22

つい最近、NHKが外国語を使いすぎることに精神的慰謝料を求めて訴訟を起こすというニュースがあった。

それを聞いたほとんどの人は、おそらく「なんてはた迷惑な馬鹿だ」と一蹴されたことだろうと思う。わたしもそのクチである。

しかし本日の毎日新聞のコラムを読んで、案外に一理あるのかもしれないと考えさせられたので、それについて書きたい。

まずはご一読いただきたい。

【火論:外来語の消化=玉木研二】

NHKの外来語乱用で精神的苦痛を受けたとして、慰謝料を求める民事訴訟が名古屋地裁に起こされた。

提訴の代理人弁護士に「とはいえ、日本語は外来語をどんどん吸収して活発になってきた言語では」と尋ねると「明治の時のように、工夫して日本語にする努力をしていますか。今はそのまま使っている」と言う。進行次第では、今の世の言葉遣いに一石を投じるかもしれない。

ペリー来航に始まる幕末・維新前後の右往左往で、日本は、西洋世界の仕組みと内実を知り、取り入れるため、言葉の翻訳・創造を必死に急いだ。政治、経済、思想、芸術、自由等々、さまざまな概念を、造語、あるいは以前からある言葉を当てて吸収した。意味を多様に内蔵する漢字はとても便利だった。

だが、当然ながら、新語を和語や漢字に置き換えるのは容易ではない。

今、私たちが「社会」というソサエティー(SOCIETY)は最初なかなか訳語が定まらなかった。「交際」などとも訳された。旧時代の「世間」ではくくれない。1875(明治8)年1月14日の東京日日新聞には「社会(ソサイチー)」とルビつきで登場している。

時代の転変を経て、外来語が日常にどっとあふれたのは敗戦後、占領軍文化や洋画、洋楽がもたらすカタカナ言葉から。国語政策上注視されたのは表記法だ。そして乱用も問題になる。

経済成長と国際化が進むと、政府文書にも「プロジェクトをトータルにマネジメントする」類の記述が現れた。

なぜわざわざそんな言い方を、と思うことがある。例えば、今「モチベーション」がよく使われるが、どこまで消化しきれた言葉だろう。「動機づけ」ではピンとこないらしい。「モチベーションが上がらない」と言えば、周囲の状況に責任があるように聞こえるから、とみるのは的外れか。「やる気が起きない」ではすまないのだろうか。

このたびの提訴で例示されたリスク、ケア、コンシェルジュなどは、日本の言葉に置き換えるべきかどうか。それぞれに「危険」「世話」「総合相談案内係」ではくくれないニュアンス(おっと、これも外来語だ)がある、という意見も出るだろう。

だが、日常語に取り入れる時、開国時の先人たちのように胃痛を起こしながら消化するような過程が今はあるか。わずかな辞書を筆で書き写した時代と、瞬時に情報が四海を巡る今は異次元世界かもしれないが、問う意味は十分あると思う。

(毎日新聞 2013年07月02日 東京朝刊: http://mainichi.jp/opinion/news/20130702ddm003070175000c.html)

外来語は、特に文章において頻出すると思う。本の乱読に意識的になった最初のころ(大学のころ、かな。たぶん。)は、よくわからない外来語に出会うたびに調べねばならず、まったく時間がかかってしょうがなかったものである。

しかも人間は一度ではまず覚えられないので、何度も調べることになる。たぶん、十回くらいその言葉に出会って調べてを繰り返したのちに、ぼんやり定着すればいいねくらいのものである(少なくともぼくの記憶力では)。

そうして一般的な新書に出てくるだいたいの外来語は今ではだいたいわかるが、それでもやはりよく忘れる。ぼくの中で一番よく忘れるというか混同するのは「イデオロギー」と「プロパガンダ」である。

【イデオロギー】一般に、思想傾向。特に、政治・社会思想。

【プロパガンダ】宣伝。特に、ある政治的意図のもとに主義や思想を強調する宣伝。
(上記共にgoo辞書参照)

両方政治関係なので、どっちがどっちの意味だったかがよくわからなくなる。くわえてこの単語は本当によく出てくる。そのくせ、日常会話では一度も使ったことがない。少なくともぼくは、「ていうかさあ、おまえのイデオロギーってなに?」なんて言ったことは一度もない。でも仮にそう聞いたとして、ニーチェ寄りではあるんだけど、どちらかというヴィトゲンシュタイン的な言語に重きをおいた考え方をするわね、なんて答えられたらまたたく間に好きになると思う。いや、嘘。女は馬鹿に限る。

あと、最近よく見るのは「クリシェ」という単語。クリシェは常套句という意味で、日本語で言えばなんのことはない単語なのに、クリシェなんていうと、とたんにインテリ臭が鼻が曲がるくらい臭い立つから不思議である。たとえば、小学生の子供が夏休みの絵日記に『おかあさんのクリシェは四の五の言わずに勉強しなさい』です」とか書いてあると、なんてかわいくないクソガキなんだ、四の五の言わずに0点だと思ってしまう。

クリティークという単語もやたら使われている。普通に批評って言えばいいのに、アートの問題は過剰なクリティークによって問題がすり替えられていることだとかなんとか書いてあると、はあ、なんかよくわからんけど、とりあえずけっこうすごいことを言っているらしいとかなんとか思ってしまう。

彼の表現は非常にプリミティブで、じゃなくて普通に原始的でって言え。これはポリティカルな問題なんですよ!なんて、政治の問題って言えば事足りる。いま必要なのはラディカルな改革だとか言ってみたって、ほんとにわけわかってんの? すなおに根本的な改革って言ったほうがあるいは賛同者が増えるのでは? ソフィスティケートされた人たちって、それこそ洗練されてない人なのでは?

日本人は外人に弱いし英語に弱い。つまり外来語にも弱いのだ。外人に話しかけられた時に英語で返答ができなくて云々なんていうが、あんなもん、「ここは日本なんだから日本語をしゃべれ馬鹿!」と切り捨てればよいのだが、しかしあらゆる外国的なものにめっぽう弱い日本人はアイムソーリーと答えて苦笑うのが関の山である。

こう書いてみると、昨今の外来語の氾濫は、日本人の自信のなさの裏返しではないか。売春をソープと呼ぶことでなんとなく健全になった気がするのが日本人である。無職をニートと呼ぶことで問題が明確化されたような気がするのが日本人である。

言葉は音や響きの印象も含めて、その言葉である。たとえば強姦をレイプと言い換えることによってこぼれ落ちるものがある。あるいは在宅介護を在宅ケアと呼ぶことで歪むものがある。

外来語で呼ぶことによって、何か焦点がずれてはいないか。問題がすり替わってはいないか。そもそもその言葉を外来語で言うことがベストなのか、どうか。

言うまでもなく言葉は思いや考えを伝える手段であって、目的ではない。大切なのは、よくよく考え、最適な言葉を選んで伝えること。

いま、たとえばあなたが大好きな人に真剣な思いを伝えるとき、「アイラブユー」と言うのか。

おそらく十中八九の人は、素直に「好きです」と言うだろう。いま現代、これだけ外来語が氾濫しているにも関わらず、そこはやっぱり好きですと日本語で言う。それはなぜか?

その選択の根拠が無意識だとしても、アイラブユーなんて言ったらふざけているようにしか聞こえないし、好きですと言ったほうがちゃんと思いが伝わると思うからに違いない。

そう、この問題は、外来語の使用の是非以前に、それが適当な表現なのかどうかということ。相手によりよく伝えるために、最善かどうかということ。古今東西、コミュニケーションの基本は、言葉を尽くすこと。言葉を尽くすことを、さぼらないことである。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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