骨うずめるところ

最終更新: 2017/08/22

思いのほか、想像以上に福岡永住を考えているわたくしである。考えすぎて鬱々してきたくらいである。

今日はひさしぶりに5時前に、4時45分に起きて、絵を描き英語の勉強をしランニングをした。

引っ越してから初めてのランニング。原爆ドームの横を通ってみたが、それほどの感慨はない。ああ、原爆ドームだなと思うだけ。広島はやたらと川があるので橋をたくさん渡ることになるが、ああ、川だなと思うだけ。一応おあいそで、ほんの70年ほど前にはどの川にも死人がぷかぷか山のように流れていたんだよなとも思うが、気分と気持ちの問題もあり、ふうん、と思うだけであった。

で、思うことは福岡に永住すべきか否かである。

仕事のことも考えるし、家族親類のことも考えてはみる。それから他のさまざまなことも考えてみる。しかし、どうにも自分を決定的に広島とひもづける要素は見当たらない。

結婚しているわけでもなく、結婚の予定もなく、それで一家の主でもなんでもなく、持ち家があるわけでもなんでもない。

長男ではあるがその自覚は微塵もなく、新宅家を背負うなどという気概などもさらさらなく、両親は当然それなりに年老いておりこの先どうなるかはわからないが、しかしそもそも思いやりや優しさ、考慮が年齢不相応に欠如している自分の性質であるので、それもまあ、どうでもよい。

何が正しくて何が間違っているのか。とりあえず、勇気と忍耐でもって広島に帰ってきた自分の決断は一応は正しかったという感慨を噛み締めつつある最近である。辛く苦い決断を無理やりなマインドコントロールで実行した自分を自分で褒めてあげたい。

そうして、さて、これからである。

ぼんやりと、しかしそう難しくない結論が浮かびあがってくる。動けるなら動けばいいのではないか。

だって、いつか、そう遠くない未来、そう簡単には動けない日がきっとくる。たとえば妻が居たりしたら、子供が居たりしたら、気分や思いつきでそうそう転居できるものではないだろう。よく言う、自分ひとりの身体ではなくなって、妻も仕事を新たに探さねばならないし、子供だって転校しなければならない。

いまは、自分ひとりで、好き勝手にやって誰も困らない。少なくとも、直接的に誰かが困る状況ではまったくない。

だったら、動けなくなるその日まで、思うがままに動いて、動けなくなった日を、動けなくなった場所を終点とすればいいのではないか。

人生でもっとも真剣に人を殺すことを考えた日々から脱却し、それから自殺もせずにちゃんと生きている自分を考えると、いま現在は十分すぎるほどにまともで健全な自分であって、どこに住むかなんて、なんてくだらない他愛のない話なんだと思う。

とりあえず、せからしかろうがもう一回就活がんばらんね、ということで、ゆらゆらとただようことにする。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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