節分の沈殿および怒りの通勤カレーライス

最終更新: 2017/08/22

昨日は一日中ベッドに横たわっていた。精神衛生が腐敗していたのでくたばっていたのである。

そのまま夜になり、節分だということを思い出した。あまり寒くなかったので、近所のセブンイレブンに恵方巻きを買いに行った。

帰って食べた。一本。380円也。わさびと醤油をつけて食べた。なんの面白みも感慨もなく、まったく何事もなく食べ終わった。

またすぐ横になった。寝よう、寝ちまおうと思ったが、なかなか寝付けなかった。なかなか寝付けなかったが、いつしか眠ったらしく、そうしたら朝が来て、目覚ましが鳴った。

目覚めたもののまたしても何もしたくなかった。世の中のあらゆるすべてがどうでもいいような気持ちであった。どんとこいテポドンとか、どうでもいいことを思った。このまましばらく、数年ばかりこうしてくたばっていたいような心持ちであった。

しかしまあ、一応は社会人なので起きた。したくないことはしないんだと公言しているくせに、しっかりとしたくないこともしている現実の朝である。起きたくなかったが起きた。シャワーを浴びて、すぐに家を出た。ぐずぐずしていると、また寝てしまいそうだったので。

電車に乗った。満員電車であった。通勤電車としてこれに乗るのも、あと5回。今週で終わりか。そう思った。

代々木上原近くで、大きく電車が揺れた。その拍子に、ぼくと同い年くらいのサラリーマンがよろけて、隣にいた、老班の目立つ定年にさしかかろうかというサラリーマンにぶつかった。

定年間近は「しっかりつかまっとけよ!つり革とか!」と文句を言った。

同い年はそれに答えず、黙っていた。

ぼくはそれを、横で聞いていた。

老いることは熟成でもあるはずだと思うのだが、ダメだなこいつは、人間として、クズだな、死んだほうがいいな、いや、ほっといたってそろそろ死ぬのか、なんてぼくは思った。

だいたい、ぶつかったくらいで怒ってどうする。しかもすし詰めの満員電車じゃないか。足を踏まれたってぶつかったって、お互い様というものじゃないか。

少しだけ、腹が立った。

新宿に着いて立ち食いカレー屋に入った。

朝カレーという、貧相なウィンナーがたった一本のっかったカレーを食べた。330円也。

店内は大盛況で、ほとんど満席であった。

たったひとりのおばちゃんが、入れ替わり立ち代わりの20人ほどの客を忙しくさばいていた。

おばちゃんの言葉づかいが気になった。

「あちらの席へどうぞ」とか、「こちらの席、いま片付けますので少々お待ちください」とかいうのである。

立ち食いなので、むろん椅子はない。しかし、おばちゃんは"席"だという。

席という概念なのだなと、どうでもいいことを思った。

席なんてものはないのだが、あるスペースのことを、便宜上"席"と呼んでいる。客も客で、ああこの(架空の)席ね、ということで了解する。

ぼくだってまあ、一応はそれを了解するが、やはり気になった。だって、席なんてないのだ。

席なんてない。誰がどう見たって存在していない。だけどおばちゃんはあくまでも席だと言うし、客を席に案内するし、客はなんら問題なく席に着く。

席なんてないのに。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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