生活のための生活のための

  2017/08/22

夜になると咳が出るのはなぜだろう。

立派に風邪を引いたぼくは、仕事帰り、咳をしいしい、ユメタウンというスーパーマーケットに立ち寄った。

肉を食って治そうという、栄養学的にはちょっと根拠の乏しい発想は、いつ、どこで、誰に教わったものだろう。

そんなことを考えるともなく考えながら、買い物かごを肘あたりにぶら下げぶらぶら歩くザ・主婦スタイルで、スーパー内を遊覧5分弱。買い物カゴには、豚バラ肉ブロック(405円に半額シール付き)、カンパチの刺身(398円に半額シール付き)、ほうれん草2束(おつとめ品77円)、ワインのフランジア白(498円)が放り込まれていた。お会計は千円札1枚と、2、3の少額硬貨で事足りた。

雨が降っていた。もう夏と呼んでも差し支えない気温で、ひどく蒸し暑かった。一瞬、電車に乗ろうかなとも思ったが、少しでもカロリー消費をはかるべきで、歩くべきだと思った。びしゃり、びしゃりと歩いた。

自転車が勢いよくぼくを追い越して、右折して消えた。雨降りの石畳、あんなにスピードを出して転ばないものかなと、足元を蹴って確かめた。意外に滑らなくて、そういうもんなのかと思った。

お愛想程度に濡れそぼって帰りついた。手を洗って、うがいをする。断続的に咳が出る。のどの調子がよくない。

iPhoneでradikoのアプリを立ち上げて、放送大学に合わせる。そうしてiPhoneをぶすり、コンポに突き立ててそのスピーカーから音声を流す。

序盤か中盤か終盤か、妙に無感情で抑揚のない誰かしらの講義が始まる。男性の育児参加についてらしい。子供の送り迎えのとき、母親ばかりの中に男性がひとり入ってゆくのはなかなか抵抗があるものだ、云々。

育児、か。子供、か。母親、か。父親、か。なんて、漠然とした単語でぼよぼよともの思いにふけりながら、弁当箱を洗う。明日の朝ごはんおよび弁当のために米一合(1割程度の麦入り)をといで炊飯機にセットする。

冷蔵庫から余っていた玉ねぎ半玉を取り出して、細切りにする。いまだ今朝洗ったときの水滴が乾かずに残っているフライパンに、玉ねぎを放り込む。火をつける。水滴が飛んだところで、グレープシードオイルを垂らし込む。

先ほど買ってきたおつとめ品のほうれん草を取り出す。これはまたけっこうなおつとめ品だなあ、つまり、けっこうなしおれ具合だなあと、現時点で相当にビタミンCが低下しているに違いないだろうなあと思いつつ、適当な長さにざっくざくと切る。

おもむろに豚バラ肉ブロックを取り出し、2〜3cmくらい、ぼくにとってはちょっと厚めに7枚ばかり切る。残りはラップをして冷蔵庫におさめる。その間、玉ねぎが焦げないよう、ちょくちょくフライパンを揺する。

豚バラ肉を7枚投入する。ごく作業的な、ジャー、という音が立つ。豆板醤、テンメンジャン、それからしおれたほうれん草1束を放り込み、料理酒、塩、五香粉、コショーで適当な味つけをする。しばし炒める。

ほうれん草を少しばかり味見する。うまくもないしまずくもない、我ながらよくわからない味ではあるのだが、まあいいかということで火を止める。

先ほど洗ったばかりのお弁当箱の水滴をキッチンペーパーで拭き取り、野菜炒めを詰める。詰めているうちに、夜は太るだとかなんとかいう考えがもやもやと立ちのぼり、最終的には、肉の8割がたは明日の弁当に回される。今晩は肉を食べて元気になろうという考えはあえなく消え失せる。

残りを皿に盛り、冷凍庫からグラスを、冷蔵庫から実家よりかすめ取ってきた第三種ビールののどごし生を取り出す。箸と箸置きを用意して、グラスにコースターを敷いて、のどごし生を注ぐ。

誰にでもなく、というか自分におつかれさまでしたと小さく言って、のどごし生を飲む。よくよく考えたら、のどごし生というネーミングはとてもいさぎがよいことに気づく。のどごし生とは、つまり「のどごし"だけは"生」ということであろう。なるほど、確かにきみは発泡酒はおろか第三種というか雑種というか亜種。正直でよい。というのは昨日思ったことではなくていま思ったこと。

縄文時代についての本を読みながら、放送大学を聞きながら、食べながら、飲みながら。窓外は雨。静かな時間が流れる。しかし静かな時間なんてのはまったくの常套句で、ほんとうは静かな時間なんてものは無い。あるのは無為な時間だけである。静かな時間というものがあるとすれば眠っている時くらいもので、起きているうちにあり得る静かな時間というのは、何もしない、つまり無為な時間。しかし、何もしないなんてことは人間にはできない。何もしない自分自身への意識、この延々としぶとく居座る消しがたい自意識を、それこそ"何もせずに"雲散霧消させる方法を、少なくともぼくは知らない。だから、本の文字に、放送大学の音声言語に、食べ物を運ぶ手に、飲み物を注ぐ指先に、咀嚼する口に、嚥下する喉もとに、それらすべてに意識をばらまいて、ともすれば注意散漫な、すべてが中途半端で不完全な状態、いろいろ何か忙しくしているようで、実のところ何もしていないというかできていない、そういう状態。リラックスした自然体、とは少し違うが、自分の存在を忘れられる瞬間が、こういうときに、ほんのすこしだけ、確かにある、ことを感じる。

野菜炒めの次はカンパチの刺身を食べる。のどごし生は飲み干したので、白ワインへと移る。黙々と食べて、淡々と飲む。特に何も考えてはいない、と思う。いや、きっと考えてはいるが、特記するほどのことはない。

ほどなく刺身をたいらげて、しかしまだなにかしら食べたくて、冷蔵庫から賞味期限の切れた油揚げをひっぱり出す。そのまま、ガスコンロの魚を焼くところであぶる。いい感じ、ではなく焦がしてしまう。だけど気にせず、焦げた面は裏にして隠し、しょうゆをかけて食べる。控えめにかけたつもりが、思いのほか油揚げが醤油を吸い込んで、しょっぱいくらいになる。だからちょっと、心臓とか、ガンとか、具体的な病名は知らないが、なにやら漠然と危なそうな病気が、というか健康が気にかかって、だけどすぐにどうでもよくなる。

ひさしぶりの油揚げはうまいと、ぼくは思った。油揚げはもう1枚あったので、今度は半分に切って、開いて袋を作って、納豆を詰めて、やっぱりあぶった。ゆず胡椒をつけて食べた。いわゆるオツな味がした。

不意にごほごほごほと、飲みすぎたのかどうか、忘れていた咳がまた出はじめる。これはさすがによくないと、しおらしく風邪薬を飲んで、シャワーを浴びて寝ることにした。

身体が温まったからか、だんだんと咳込む間隔が短くなる。ごほごほごほ、ごほごほごほ、ごほっごほっごほっ。けっこうな病人ぽい雰囲気が漂う。だけど素っ裸で、ベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。ゆるい酩酊に、じわり、汗ばむように身体がしびれていた。布団をわきに押しのけて、大の字になった。

雨が振り込まない程度に、窓をごく薄く開けた。すばやく雨の音が忍び込んできて、部屋を感傷で満たそうとしたが、車の流れる音が感傷を嫌うように上書いて走り去った。雨の音が、車の音が、前へ、後ろへ、ふたつの音がたわむれて、いつしか小気味のよいリズムとなり、そこへランダムにぼくの咳が水をさし、独特の雰囲気、というか、独り身の中年男性が咳き込みながら眠る夜の音楽としては実に似合いの雰囲気を醸し出した。そう、まったくさびしげで、みじめったらしく、哀れっぽくて、というのはあくまでも第三者のステレオタイプ的な印象であって、ぼくとしては、こういう夜が意外に悪くなかったりするから、いやもっと、幸せだったりするから、死なずに生きてるんだと思ってる。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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