うつ病に抗うつ薬を、すこし

最終更新: 2015/07/03

なにがどうというわけではないが、こう、漠然と気分が滅入っている。頭が、脳内が死んでいる。一切合財が、どうでもいいというか、くだらないというか、全員死ねというか、てめえがくたばれというか、何もかもがめんどうくさい。うっとうしい。かったるい。もう、とにかくはほっといてくれ。

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね、もしくは、消滅消滅消滅消滅消滅消滅消滅、という気分。

というわけで、ひさしぶりに抗うつ薬を飲むことにした。違法でも脱法でもなく、きちんと遵法である。去年の夏ごろに、広島の精神科で処方してもらった、ジェイゾロフトとレキソタンという薬を一錠ずつ。処方通りに。

なにを隠そう、ぼくはれっきとしたうつ病患者なのである。

2013年、広島での夏。土日の休み明けの、ある月曜日ことである。どうにも会社に行きたくなかったぼくは、例のLINEで適当な体調不良を理由に、休みますとメッセージを送った。すると社長よりLINEで一言「連休明けにか!」。

あー、やべえと思ったぼくは、少なくとも病院に行って処方箋をもらっておき、いざとなったときに言い訳できるよう、予防線を張っておこうと考えた。しかし、なんといってもぼくは肉体的には完全な健康体である。問題は「腐った」精神だけである。となると、かかるのは精神科以外にはなかった。

適当に精神科を検索し、電話をかけた。予約は不要とのことだった。それではと、重い腰を上げて外に出た。痛いほどの熱い日差しの中、徒歩でもって精神科に向かった。

迷いも抵抗もなかった。人生5度目くらいの精神科である。上京した直後に興味本位で一度と(そのくせ、カウンセリングで号泣できて大満足)、それから2年ほど前に、確かに病んでいたので、2、3回ほど継続的に通院していたのである。

薄く汗ばみながら、精神科に到着する。待合室には、一様に生気に問題のある感じの顔がずらりと並んでいる。平日の午前中にも関わらず大盛況である。誠にこの世は生きにくい。

保険証を出すと、初診なので問診票を書かされる。症状にチェックをつけていく。気分の落ち込み、抑うつ感、など。具体的な記述欄には「希死念慮」以上。

持参した文庫本を読みながら順番を待つ。30分ほどののち、新宅さんと呼ばれる。診察室に入る。

いかにも大学でいろいろ勉強したんだろうな、でもそのあとの人生がちょっとかったるいんだけど、まあ儲けてはいるよ、でも人生ってはかないね、楽しくなくもないけどね、いやいやこれはここだけの話で、精神を病んでしまったみなさんのお力になりたい、助けたい、そしてお金をいただきたい、もらったお金で飲み食いしつつ女漁りをしつつ、でも家庭は大事なんだよね、うん、子供は二人いるんだ、姉妹だよ、という感じの50がらみの医者が、ぼくが記入した問診票とぼくとを見くらべながら尋ねる。

「どうされましたか」

「はい、以前より、時々気分的に激しく落ち込むときがあり、受診させていただきました。」

「なるほど」

「食欲は?」

「あります」

「お通じは?」

「問題ありません」

「お酒は?」

「毎晩飲みます」

「どれくらい?」

「缶ビールと、ワイン一本くらいです」

「缶ビールは500ml?」

「いえ、350mlです」

「なるほど。問診票に、希死念慮とありますが、いつごろから?」

「大学のころからです。気分の落ち込みの激しいときには、自分でも危ないというのがわかるんです。そういった時には、無理せずに、こういった精神科にかかり、処方していただくようにしておりまして」

「お薬は効きますか?」

「ええ。薬を飲むと、若干のだるさは出ますが、気分的にはかなり楽になります」

「それ以外の副作用は?」

「性欲の減退ですね」

「お通じは?」

「それは大丈夫です」

「性欲の減退はよくある副作用ですから問題ありません。むしろ、便秘に悩まされる方が多い」

「なるほど」

「では、気分の落ち込みを軽減するお薬を、2、3処方しておきましょう」

先生はそう言って、カルテにドイツ語かなにかで、なにやら走り書きした。そして最後に、ずらっと数十種類並べてあるハンコのうちのひとつを取り、ポンと押した。明朝体で「うつ病」と押印された。

あまりにもマンガ的なノリに思わず吹き出しそうになったが、こらえた。とにもかくにも、ぼくはうつ病になった。

明日、会社に行ったらなんて言われるか。「新宅くん、大丈夫?」「ええ、大丈夫です。ただのうつ病でした」「ああ、そうかそうか、ただのうつ病ならよかったね……って、え? は?」

で、いま、抗うつ薬が穏やかに効いているらしく、気分がまあまあよい。昨日はまったく、気分が悪かった。最低だった。頭が重くて、鈍くて、文章なんて、まったくといっていいほど書けなかった。脳みそが腐って、言葉が枯れ果ててしまったんじゃないかと、真剣に心配するほどだった。

世間では、精神科なんて、抗うつ薬なんてという抵抗を持たれる方も少なくないだろうが、いやいや、それで楽になるのなら、なんでも使えばいいじゃないかと、ぼくは思う(法に触れない範囲で)。

くだらないくせにめんどうな、短くはかない人生である。楽しく生きようではないか。酒の力も、抗うつ薬の力も、その他もろもろの力も、なんでもかんでも借りまくって、楽しくやり過ごせばいいではないか。

とはいえ、抗うつ薬を飲むと、わかりやすく身体がだるくなる。それは薬の注意書きにも書いてある。他に、便秘、口渇、性欲減退など。おそらく、あらゆる身体感覚を鈍らせる働きがあるのだと思う。だから、本来ならば辛いことも、それほどの辛さではなくなる。そういう麻痺の効果があるのだろう。

まあ、人によって副作用の出方ははさまざまあろうが、ぼくがもっとも痛感するのは性欲減退。性的な快感が半分程度になり、自慰はなんとかなるが、セックスについては射精に至ることが相当に困難になる。

しかし、性欲の減退は、ある意味では解脱の道に通じているようにも思うので、抗うつ薬を飲んで無我の境地を目指したい、なんて言ったら、ふざけるな、死ね、とか言われそうだ。まあ、どう言われようが思われようが知ったことではないが。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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