われわれの思考停止

  2015/07/03

ぐォーッ、ペッ。ごほ、ごほ、ごほごほごほ。ガー、ゲー、ごー、ぐぉー、ペッ。ごほんごほん。

まるで中年男性の洗面所か公衆浴場かといった感じの痰を吐く音。

今朝の、電車の中でのこと(実家に帰っておりました)。音の主を求めて振り返ると、今さっき病院から退院してきたかのように白くやつれた初老の男が座っていた。

まあ、たまに遭遇することである。ところ構わず痰をゲーッとやって、ちり紙に包んでポケットにねじ込んだりしている、そういう輩。

そりゃあ痰がからめば苦しいのはわかる。しかし、TPOというものがあるのではないか。たとえば目の前に立っている人は、どう考えたって気持ち悪くて仕方がないではないか。

案の定、不幸にも目の前で痰を吐かれてしまった若い女性はさっと立ち位置を移した。

しかし、なおも続く。ごほ、ごほ、ガー、ごー、ぐぉー、以下省略。

一回や二回ならまだわかる。しかしこの御仁はそんなものではなかった。ほとんどひっきりなしに、何度も何度もそれをやる。

ぼくは本を読んでいたが、あまりにも不快なので、おそらく十回以上はその御仁に向かって軽蔑を込めた視線を送ってしまった。

何度目かの軽蔑視線投げかけ作業のとき、気が付いた。その御仁が痰を吐いているのは、龍角散ののど飴が入っている袋であった。例の、口に乾燥防止用のチャックがついているやつである。

この中に、痰を何度も吐く。ガー、ゲー、ぷえっ、と、何度も吐く。袋の中身を想像すると、思わずうっと吐き気がして粟立った。

痰吐きは延々と続いた。車内に負の空気が満ち満ちてゆくのが、肌で感じられた。ぼくを含め、みんなきっと同じ気持ちなのだろう。

すなわち、(死ねよこのクソじじい、まじで公害、迷惑、こんなやつが生きててなんの役に立つんだ、くたばれ、電車に乗るな、一生寝とけ、家から出るな、気持ち悪い、消えろ、カス、ボケ、クズ、ゴミ)など、その他もろもろの罵詈雑言である。

まともな神経の持ち主ならば、その空気だけでたちまち鬱になり速やかに首に縄をかけかねないような、圧迫的、迫害的、排他的雰囲気の充満であった。

そんな状態が、10分は続いただろうか。

不意に、詰めすぎて張りつめたレジ袋が卵パックの角ですらりと裂けるように、ひとりの女性、というかごくふつうのおばちゃんが御仁に声をかけた。

「なあおいちゃん、のどが痛いんやろ。この飴なめんさい」

そう言って、おばちゃんは無理やりに飴をにぎらせた。男性はただ黙って受け取った。

そのやり取りを見て、ふっと気が付いた。というか思い出した。ああそうだ、このじいさんだって、人間だったんだと。

それはとてもばかばかしい気づきだと思われるかもしれないが、事実、そのおばちゃんが声を発するまでは、確かにあの痰を吐きちらす音が満ちる電車一両の空間においては、そのじいさんは「非人」であった。人であって、人ではなくなっていた。

不快な音を発するじいさんは、人間ではなく、抽象的で漠然とした迷惑な存在でしかなかった。人間というよりもモノというか、捨てられるべき、消え失せさせるべき存在のようだった。

しかし、ふつうに考えれば、のどが悪い、またはのどが痛いから痰を吐き続けているのであるが、もはや誰もそのことを意識しない、考えられない。不快さだけが全面に押し出され、当たり前の事実はその陰に隠れて、というかほとんど消滅してしまっている。

と言いつつ、ぼくは不快さに耐えきれず、目的地のひとつ前の駅で降りて、余計に歩いた。

歩きながら、いささか大げさだが、ナチスなんかのことを思った。大衆がひとつの方向に動き出すと、まず止まらないんだろうなあと。あの時、ユダヤ人の排除という大きな世の流れに逆らうのは相当に難しいことだったのだろう。それこそ、いったんその流れの中に身を置くと、思考が停止するに違いないのだと思う。

それはつまり「なんで? 」という発想が出なくなるということだろう。そんなことをぼやぼやと考えてみると、あそこでたったひとり、果敢かつ颯爽と世の流れを突き崩してみせたおばちゃんが、ナポレオンかなにか、英雄のようにも思われた。

ちなみにぼくは、ナポレオンが何をした人なのかはよく知らない。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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