その貧乏ゆすり不快につき
2020/02/05
痰を吐く、歩き煙草、食べ方が汚いなど、この世に不快なことは夥しいが、そのひとつに貧乏ゆすりがある。
今まで職場などで何度も不快な思いをし続けてきたので、今では貧乏ゆすりを目にすると、もはや条件反射で「人間として程度が低い」もしくは「育ちが悪い」という烙印を押してしまう。そして、こいつとは関わる価値なし、という判断をくだす。
視界の端で延々と小刻みに震えているその足元。ときには規則的な衣擦れの音、靴が床を叩く音が、これまた延々と続く。
しかしこの貧乏ゆすりというものがやっかいなのは、ぼくといえどもちょっとさすがに、面と向かっては注意しにくいこと。本当は胸ぐらをつかんで、「おい!この貧乏野郎!(きっとぼくのほうが貧乏だが)てめえの足ぶった切るぞ!」とドスを利かせたいところだが、それは胸の中に押し込んで、なるべくそちらの方を見ないようにするのが関の山である。
しかし、座席の配置やパソコンの位置上、どうしても視界に入ってしまうことがある。そんなときは、デスクに立ててある本の間に書類などをはさんで、手製のパーテーションを作り、視界そのものを遮断する(経験あり)。これは相当に不自然な見てくれなのだが、それでも貧乏ゆすりの当の本人は、来る日も来る日も相も変わらず派手にゆさゆさやっている。
うおぉぉぉぉ馬鹿野郎!そんなにゆさゆさしたいならおれがゆさゆさやってやろうかこの野郎(胸ぐらをつかんでゆさぶる)!としか言いようがない。とりあえずぼくとしては、これほど人を不快にさせるものなのだから、間違っても自分は絶対にそのようなことはすまいと心底気を付けている限りである。
しかしこの貧乏ゆすりなるものは、そもそもなんなのか。というわけで、wikipediaに聞いてみた。
「貧乏揺すり」という名称の由来については諸説ある。
貧乏人が寒さに震える様子から
高利貸しが貧乏人から取り立てる際に足をゆすることが多かったから。
江戸時代に足をゆすると貧乏神に取り付かれるといわれていたから。
といった説がある。〜中略〜
貧乏揺すりをする原因は、まだ完全に解明されたとは言えないが、いくつかの説がある。
何かのきっかけ(脚の後ろをイスに当てるなど)で筋肉が収縮し、それから起こる一連の伸張反射によって、脚の前後の筋が交互に収縮伸張を繰り返すため[1]。ずっと座っていると、下半身の血流が滞ってしまうので、それを解消するために反射的に貧乏揺すりをする。
人間は何もしないという行為は、心理学的に不安になる事が多いために、それを解消するために貧乏揺すりをして気を紛らわせる。
貧乏揺すりをしている人は、たいていの場合において何かしらの欲求不満、ストレスを抱えていることが多い。
取りすぎたカロリーを本能的に消費しようとするため。
これらのストレスから脳をリラックスさせるためや、逃避行動の一種ではないかと考えられている。また、男性の方が圧倒的に貧乏揺すりをすることが多い。男性は大昔、狩りをすることが多かったため、敵から襲われてもとっさに戦えるための準備運動のような動作が身に付いたという説や脳の構造(脳梁の太さ)の違いによるものではないかと推測されるが、明確な答えは出されていない。 また老廃物が溜まりやすいというのは誤りであり、むしろ男性のように筋繊維が多い方がリンパの流れや代謝がよくなり老廃物が蓄積しづらい。 逆に筋繊維が比較的少ない女性にむくみが多いことが裏付けになっている。
wikipediaより引用。
長々と引用しておいて言うのもなんだが、由来も理由もどうでもいい。即刻その貧乏ゆすりはやめたほうがいい。癖になっているならなおのこと、努力してやめたほうがいい。
どうしようもなく格好が悪いし、不細工だ。チョイ悪だか頭がだいぶ悪いんだか知らないが、ほんとうに人間の価値を下げる行為だと思う。どんなに見てくれがよくてもその行為でがっかりする(まあ、残念な奴だからこそ貧乏ゆすりをするのだが)。
とりあえず、わたしが総理大臣になった折には、貧乏ゆすりを取り締まる法律を可及的速やかに施行します。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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