わたしはそれを目に映す
2015/07/03
クリスマスを含む年末年始に近づくにつれて、facebookのタイムラインがいやににぎやかになってきた。
twitterはそうでもないが、facebookは本当ににぎやか、というか華々しい。
この媒体の本領発揮といおうか、原則的には安心できる知り合いの繋がりの中でだけ(その一方、恥をかきたくない、よく見せたいという意識が働く)、各々の生活の”いいところだけ”、もしくは”見せたいところだけ”が公開され続ける特性を考えると、当然の成り行きではあるだろう。
それにしても、まぶしさすら感じる華やかさである。
たとえば、今日は旦那様にサプライズで豪華なクリスマスディナーの用意をして帰りを待ってる(華やかなシャンパン・料理風景写真付き)とか、子供のクリスマスプレゼントを買いました(男の子向けのラジコンだとか、女の子むけの玩具などの写真付き)だとか、クリスマスプレゼントをもらってうれしそうなこの笑顔ったらない(子供の顔写真付き)などなど、ああ、世の中ってこんなに幸せっぽいことがたくさんあるんだなあと、ちょっと世の中の実際を勘違いしてしまいそうなほど、それはそれは幸福に満ち溢れている。
もちろん、人生には素敵なことも糞みたいなことも、ちゃんと両方あって、それが相当に偏って露出されているのがfacebookという媒体なのではある。その裏には無味乾燥な日常が、氷山でいうところの海につかっている大部分として存在するのである。そんなことは知っているし解っている。
まあ、楽しそうで結構なことである。幸せそうでなによりである。性悪のぼくとて、別にみんなが苦しみ悶えているべきだなんて思わないし、ごくふつうに、幸せっぽく暮らせているほうがいいとは思う。
ただ、なんだかとてつもなくそのような世界が遠く感じるのである。自分は、そういう世界とは縁遠いところに居るように思われるのだ、とか、いつものように憂鬱ぶってケチをつけるのは簡単だし、いつものようにケチをつけたいところなのだけど、ふつうに考えてみれば、そもそもケチをつけるようなことは何もない。
誰かが誰かを喜ばせて、誰かが誰かに喜ばせられて、誰かが誰かを大事に思ってて、誰かが誰かに大事に思われている。いわゆる愛してるとか、愛されてるとか、そういうのがあって、それぞれが笑ってて、だからこそ幸福そうなんだろうと思う。
どう考えても、日常生活だけは、まっとうで、ふつうが一番だと思う。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
ご支援のお願い
もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。
Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com
ブログ一覧
-
ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」
2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
-
英語日記ブログ「Really Diary」
2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。
-
音声ブログ「まだ、死んでない。」
2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。
-
読書記録
2011年より開始。過去十年以上、幅広いジャンルの書籍を年間100冊以上読んでおり、読書家であることをアピールするために記録している。各記事は、自分のための備忘録程度の薄い内容。WEB関連の読書は合同会社シンタクのブログで記録中。
- 前の記事
- 今年もまた年末らしからぬ
- 次の記事
- 月並みな仕事納め2014