今年もまた年末らしからぬ

最終更新: 2017/08/22

今年もまた年末らしさのない年末がやってきた。

その前に、今日はクリマススイブというやつなのだが、ちっともクリスマスという気分でも雰囲気でもない。

もちろんそれは自分の感覚上の話ではある。しかし、それにしてもまったくの平常通りで、ふつうもふつう、ふつうすぎて異常なくらいである。

何か特別なことでもすればいいのかもしれないが、そのようなイベントは何もなく、むしろ今日は会社帰りに世界堂に寄ってM10号の木製パネルを2枚買って帰ろう絶対に、と思っているくらいのもので、そのあとに気が向けば呑みにでもいくか、なんていう感じの無味乾燥さである。

まあ、そんなことはどうでもよくって、この時分の月並みな行為として、ちょっぴり一年を振り返ってみたい。

今年はまったくもって激動の一年であった。特にお仕事。

しかし、今後の仕事探しなどの際に不都合が生じてくる可能性が大なので、詳細はここには書くことができないのが残念至極である。聞きたいという方は、ぼくにお酒を飲ませてあげればいいと思うので、是非ともよろしくお願いしたい。

ひとつ言えるのは、今年はどんどんと賃労働の仕事というか、働くことそのものが嫌になっていった年であった。

自分には、いわゆる社会人の自覚というか、そういう感じの社会意識がごそっと一式欠如しているのだと思う。
そう、ぼくは社会人失格なのだ。どう考えたって、ぼくのような人間を雇う会社は見る目が無さすぎる。それこそ節穴だと思う。ぼくを雇ってしまった社長は今すぐにでも社長をやめたほうがいい。いや、ほんとうに。

なんというか、自分の態度や考え方は、一般的な社会規範に照らし合わせたとき、確かに間違っていると思うし、間違っているのだと解っている。しかし、自分にはそうすることしかできないのだとも思う。

ゆえに、会社では自ずと浮いた存在にならざるをえない。自分の所属する部署内で「みんなで飲みに行こう」というようなときに、ぼくはその「みんな」には入っていなかったりする。ごく当たり前に。

上等だよバカヤローと思う。こっちからお断りだろコノヤロー、いつでもクビにしやがれコンチクショウ、ほか、いろいろな罵詈雑言を思う。

ぼくには、日本人の美徳でもある空気を読むこと、つまり、協調性がまったくない。というか、会社でそんなものを発揮する気なんてさらさらない。

たぶん、というか絶対、ぼくはこれから歳を重ねるごとに、どんどんと一般社会で生きにくくなっていくだろう。

それは、美術家になりたいという気持ちが膨らめば膨らむほど比例していくはずだ。作品のことばかりを思い、いい作品を作ろうと一日中考え、そうして意識を研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほど、俗世間でのほとんど誰でも代替可能な賃労働が馬鹿馬鹿しくなっていく。

自分でもひどいなと思う。お金をもらって働かせていただいているのに、そのような意識の持ち方は流石にあり得ないのではないかとは思う。しかし、どうにもこうにも、そのようにしか思えないのだから仕方がない。

来年は、ぼくの賃労働のクオリティはもっと如実に低下するだろう。一方で、来年のぼくの作品は、今年とは比べようもないほどよくなるという自信がある。

まあそんなこんなで、メリークリスマス、イブ。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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