職業に貴賎あり
2020/08/19
先日読んでから、なんとなく頭に残っているコラムについて書きたい。というのは建前で、一部というか一人の方から、ぼくのブログの書き方で、引用してそれについて書く文章が好きですと言われたので、それにお応えする次第である。
なにはともあれ、まずは下記転載文を読んでいただきたい。
【憂楽帳:おかしょく】
私の父はいわゆる土方稼業で、高度成長期、ダム建設のため四国の山中を社員とともに渡り歩いた。
本人も社員も家族もごく普通に「土方」と名乗っていたが、いつのまにか新聞では使わない言葉になっていた。その仕事への偏見によって、一般的な職業名が差別的な色合いを帯びる。悪いのは言葉ではなくて張り付いた偏見だから、「土方と言わない配慮」にも、いい気持ちはしない。
「職業に貴賤(きせん)なし」が警句になるほど、仕事にはランク付けと色眼鏡がつきものだ。
30年前にいた瀬戸内の漁師町。漁師さんたちは、漁業以外の職業をすべて「おかしょく」と呼んだ。「陸職」とでも書くのだろうか。工員も医者も事務員も市長も等しく「おかしょく」だ。
あまりにシンプルなくくり方がすがすがしかった。そう呼ばれて「あの仕事と一緒にされるとは」と怒る人がいるかもしれない。
言葉は偏見の鏡だ。「この肩書では失礼か」と感じるとき、それは言葉が不適切なのか、私自身の偏見が映し出されているのか、立ち止まって確かめたい。
私は今でも、「土方の娘」が一番しっくりくる。
(毎日新聞 2013年06月18日 / http://mainichi.jp/opinion/news/20130618ddf041070015000c.html)
どのような仕事であろうとも、社会全体で見れば欠くべからざる仕事であって、不要な仕事などひとつもない。大事なのは自分自身の誇り、自負、気概である。なんてありきたりなことを言ってみても、現実は理想にはほど遠く、だれも社会的な評価から逃れることはできない。
土方は土方である。土木作業員や建築作業員と言い換えても、本質に変化はない。土方と名乗ろうが、土木作業員や建築作業員と名乗ろうが、大抵の人は「ああ、そう」と思う。
この「ああ、そう」という反応が世間といういうものである。これがたとえば、弁護士や医者なら「ああ、そうなんですか」となる。言葉の上ではわずかな違いでしかないが、これが現実では圧倒的な差となって、完全なるヒエラルキーを形成する。
この世にはヒエラルキー(上下関係によって階層的に秩序づけられたピラミッド型の組織の体系)というものがある。職業に貴賎なしなどといくら言ってみたところであるものはあるのである。
ほんとうに無いのなら何故に新卒採用の求人に風俗が無いのか。言うまでもなく、風俗ほど若い人材を求めている業界もないだろう。
たとえば合同会社説明会なんかで「わたくしどもエコロジーの観点から企業様に貢献できるサービスの開発に努めておりまして云々」なんて言ってる横で、風俗店店員が「うちは本番なしで、アリバイもしっかりしてます。ええ、もちろん即尺なんてありません。性病の防止には力を入れております。それに高級マンションを社宅としておりすぐに入居可能です。バックアップ体勢も万全です」と説明していたって全然構わないわけだが、そんな話は今の今まで聞いたことがない。
「就職おめでとう。これは入社祝いだ。まあ、社会は厳しいが、がんばって店舗NO1になりなさい」なんて親はどう考えたっていないわけで、しかしそれは何故? スーパーの店員とソープの店員と、なにが違うの? 同じ仕事でしょ? むしろ給料すごくいいしやりがいあるよ? ということについて、うまく答えられる大人は少ない。
それは、なぜ人を殺してはいけないのかという疑問にも似ている。そこで名答を出せるのはビートたけしくらいのもので、そんな奴は「ひっぱたいて終わり」なのである。
そう、つまり理屈ではない。賎しかろうがなんだろうが、あるものはある。性産業は人類の歴史においてもっとも古くからある職業のひとつである。古今東西、その身を求める者がおり、身を売る者がいる。決して無くならないのだ。
貴賎のすべてがないまぜになって社会を形成している。無理矢理に分離すれば、すなわち排除すれば、きっとそれは社会ではなくなるだろう。
それはちょうど、一度も嘘をついたことがないという人のようなもので、それこそ嘘つきで、ちょっと心を許せない。でも妻や娘がそこに堕ちたとしたら、それはもっと許せない。というような矛盾に満ち満ちているのが健全な人間の社会である。明るい社会には、影が要る。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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