それは魔法のコナミコマンド

  2015/07/03

わたしの幼年時代はファミコンで彩られている。いや、侵食されているといったほうが正しいかもしれない。

いとこからファミコンをもらったのがすべての始まりであった。経緯は不明だが、なぜかソフトは1本も無く、ただ本体だけをもらったのである。

確か小学校1年か2年か、そのくらい。なぜか興奮気味だった母が、さっそく近くのゲームショップ「はまなか」に走っていき、ハリキリスタジアムという野球ゲームを買ってきてくれた。

コントローラーの十字キー、AやBのボタンを押すと、画面の中のキャラクターが動く。バットを振ったり、ボールを投げたり、走ったりする。ぼくはただただ、死ぬほど新鮮で、死ぬほど感動して、死ぬほど興奮したのをよく覚えている。でも真面目な話、全然死んではいないし、ポケモンのフラッシュ画面のごとく泡を吹くことさえもなかったので、あるいはたいしたことはなかったのかもしれない。

それはともかく、わけもわからず目をギラギラさせて日夜ハリキリスタジアムをやっていた。いま考えれば、野球に興味もなく、そもそもスポーツ全般に無関心なNHK信仰の家庭で、野球のルールさえも知らないのにいったい何をそんなに懸命にやっていたのだろうかと思う。

それからしばらくして、父が会社の同僚からスーパーマリオブラザーズをもらってきた。当たり前かもしれないが、これにはさらに感動した。ハリキリスタジアムの1000兆倍はおもしろかった。

そうして高校2年ごろまで延々と続くぼくのTVゲーム人生がはじまったのである。もはや虜であった。スパルタンXやスペランカーといったクソゲーから、くにお君の熱血高校ドッジボール部、ドラゴンクエスト、ファイナルファンタジーなど、ありとあらゆるゲームをやった。

話はやや逸れるが、日本中の子供が人生の不条理を学んだのは、ドラゴンクエスト2だろうと思う。今では情報を記録・保存することなど当たり前すぎることだが、あのころにはそんなものはなかった。だから前の状態でゲームを再開するには、下記のような意味不明の文を毎回メモしなければならないのであった。

ずさわ がしへ へじたそ

すらぶ まやほ ちさひめ

つずぺ きぬじ ぶひぼぱ

ぽぴく ほずら わえらご

べがじ すきみ ちとゆべ たざ

こんなもの、単なるパスワードでしかないのだが、それを「ふっかつのじゅもん」なんて子供心をくすぐるネーミングをつけたところに、ゲーム開発者の天才がある。しかしたとえば、これが古典の名文の書き取りなどだったとしたら、どれだけ日本の国語力の底上げになったかわからないと真剣に思う。

なんといっても毎回必死で書き写し、間違いがないかをテレビ画面とムツゴロウの学習帳などのノートを穴が開くほど見比べて確認、確認、確認。これが間違っていたら死ぬくらいの気持ちでやっていたのだ。

しかし子供の能力などたかが知れているので、それでもなお書き写しが間違っていたりする。「ふっかつのじゅもんがちがいます」とコンピューターに拒絶されたときの唖然、時間の停止感、絶望感といったらない。ここにおいて子供は自分の能力の限界と、深い後悔の念を知る。

1980〜1990年代を生きた同年代の男子であれば、たいていの人はこの気持ちをわかってくれるだろうが、昨今の平成生まれの子供にこんな話しをすると「え、だったらTV画面の写メを撮ればいいじゃないですか」なんて言われるらしいから、まったく隔世の感を禁じ得ない。「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」って、マリー・アントワネットを地で行っている。

さて、ようやく本題に入るが、コナミコマンドとは「上上下下左右左右BA」というコナミ(ゲーム会社)のゲームの裏技である。スタート画面でこれを入力すると、最強の状態でスタートできるのだ。

グラディウスというシューティングゲームがあった。これもまたスタート画面で「上上下下左右左右BA」とやると、やはり最強の状態でスタートできる。

たぶんこの裏技によって、日本中の小学生は「正直者は馬鹿を見る」もしくは「楽をして甘い汁を吸う方法がある」ということを身も持って学んだのだと思う。

なんといっても、コナミのゲームだけの裏技ということさえ知らなかった。だからゲームをやるときには、とりあえず「上上下下左右左右BA」とやってみていた。やたらめったら甘い汁を探していたのである。

「上上下下左右左右BAやってみたら?」

「ああ、上、上、下、下、左、右、左、右、B、A……なんもならんで」

「たぶん、今のちょっとやるのが早かったわ。一回リセットして」

「あ!いま!上上下下左右左右BAして」

「上、上、下、下、左、右、左、右、B、A……やっぱなんもならんで」

「裏技ないんかのう」

この年頃特有の妙な早口で、よくこんな会話をしていた。そもそもコナミコマンドなんていう単語は今だからこそ知っているのであって、その頃にはそのまんま長ったらしく「上上下下左右左右BA」と呼んでいた。そうしてただただ、「上上下下左右左右BA」とやれば何かが起こる、ような気がしていた。それは子供にとって、ある種の魔法だった。

しかしそれはじきに「ずるい」とも言われるようになった。たとえばグラディウスを全クリ(すべてのゲームをクリアすること)したといっても、それは裏技を使ったか否かがまず確認されるようになる。裏技を使って全クリした者に、賞賛は無かった。

そう考えると、TVゲームは、この世の不条理、仕組み、道徳、努力、そんな一切を教えてくれたような気がする。月並みなこの総括にそれほど異論はないと思うが、しかし大前提として、ほとんど命をかけて真剣に取り組んだからこそ得られたものだろうと思う。

あの真剣さでTVゲームに取り組めることは、もう二度とはないだろう。周囲が見えなくなる没入感。文字通り寝食を忘れていた。そして周囲の大人がこれほど面白いものをやらないことが、ちょっと信じられなかった。

あれから二十年。その信じられない大人になっている。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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