見てくれも能のうち
2017/08/22
昨日の毎日新聞のコラムにこんなのがあった。
引用始め。
幕末・維新のリーダーについても、池波(小説家の池波正太郎※引用者注)さんは興味深い批評をしている。
〈西郷隆盛は人物も立派なのだが、何しろ、見るからに偉人の風貌をそなえているから、することなすこと、すべてに信頼をもたれる。もしも西郷隆盛が〔きりぎりす〕のようにやせた男であったら、あれだけの仕事をなしとげられなかったであろうし、上野の山に銅像もたたなかったであろう。
この点、大久保利通は大分に損をしているといえそうだ。人間というもの、姿かたちも大切なものなのである〉(『人斬り半次郎』)
〈あの巨体、あの重々しさ、堂々たる、そのくせ少しも力まずしてそなわった威厳など天性のすばらしさは、西郷の声や言葉を〔真実〕のものとした〉(同) とも礼賛した。
引用終わり。
「人間は 見た目じゃないよ 心だよ」とはよく言ったものだが、そうは言っても人間に目が付いている限り、文字通りまず目に付くのが見てくれなのだから仕方がない。
同じことを言ってもやっても、その人の見てくれで相当に印象が違う。いかにも強面な人が優しいことを言えばよけいに優しさが感じられるし、いかにも弱々しい人が頼りがいのある一面を見せれば、これもまた然り。
金太郎など、よく童話に出てくるキャラクターの定番は「気は優しくて力持ち」。こういう気質と体質の組み合わせこそが万人に愛されるのだ。これが「気は乱暴で力持ち」 では近寄りがたいし、「気は優しくて虚弱体質」では誰も相手にしない。
いや、それは単なる意外性であって、今日のブログの主旨とは異なる。むしろ、見てくれのままの話、強面の人がドスのきいた声色でその手の言葉を吐いたなら、弱々しい人が見たままの脆弱さをさらしたら、という、その人の印象が強化されるという話。
しかし、強化もなにも、だいたいにおいて人は人を見た目で判断している。少なくともぼくはそうだ。最近は目下婚活中であるが、結婚相手を選ぶに当たってつくづく思うのは、あばたもえくぼなんてのはまったくもってありえない。というか、妻にする女性のあばたをえくぼだと思ってどうするんだ。今後50年くらいは一緒に生きていくにもかかわらず、いつまであばたをえくぼだと思ってるんだ。言っとくけど、すっげえ天気のいい日もあるんだからな。子供ができたら、それこそ海水浴場に行ったりするんだからな。日差しはそうとう強いよ? 蛍光灯の比じゃないよ? そこであばたもえくぼ? あばたはあばただよ? なに言ってんのかわかんないよ? ほらよく見て? えくぼじゃないよ?
と、ついつい熱くなってしまった。例によってこのまま自分の話に引きずりこむが、ぼくは日々刻々と自分の結婚が困難になってゆくのをひしひしと感じている。いまのぼくは、もはやけっこうな病である。
だって、街ですれ違った女性という女性を、頭の中でおおいに値踏みしまくっているのだ。基準はただひとつ。その女性を妻として50年ばかりも連れ添えるか否か。それを考えると、あれもだめこれもだめ、どいつもこいつも全然だめ、なにその髪? なんなのその服? なにがどーなったらそうなるの? ありえないでしょそのセンス? うおーぶーすぶーす、というような、それはもうひどい頭の中なのだ。
おまえがなんぼのもんじゃいと、それこそ女性という女性から総攻撃を食らい自決に追い込まれそうだが、人が何をどう思おうが自由である。しかも、感覚や感慨を停止させることは不可能なのだ。しょうがないだろう、そう思うんだから。
もちろん、ほとんどの既婚者は「その女性を妻として(あるいは夫として)50年ばかりも連れ添えるか否か」なんて基準でもって結婚したわけではないだろう。状況もあるだろうし、流れもあるだろうし、雰囲気もあるだろう。
しかしともかくは絶対に無くてはならないのは「この人と結婚したい!」という気持ちだろうと思う。次に無くてはならないのは、お金とか生活とか健康とか人間関係とか、そういうちょっと想像すれば容易に思い浮かぶ、人生において避けがたく起こりうる困難をその人と乗り切っていけるか、というか、乗り切っていこうと思えるか、である。
そうしていろいろ考えていると、もう誰だっていいよとも思う。みんな婆さんになりゃ似たようなもんでしょうとも思う。目鼻口手足があるべきところにくっついててよく笑うくらいの女でいいではないか、とも思う。しかしそれでも、片っばしから不可、不可、不可なので、ぼくが結婚式でバブル並のゴンドラに乗って登場する日はかくも遠いのであった。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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