ひとり飲みこまれる夜に
2016/04/08
酒を飲む理由なんてなんだっていいが、理由は必要だ。
昨日の理由は、なんだかもやもやするのと、我が身の行く末を改めて考えてみようという理由をつけて飲みに行った。
お店に入って指一本を立ててみせる。カウンターに通され、生ビールの小を頼んだ。メニューを眺めながら待つ。お通しと生ビールがきて、注文をする。生春巻きサラダ、それから豚足の炙り焼きを。
ほどなく生ビールがなくなったので、赤ワインをデカンタで頼む。
距離について思う。遠くのバラより近くのタンポポのようなことを。
思っていた。距離とともに人の心は離れるものだと。物理的な距離の前に、人と人の繋がりなどはたやすく途切れてしまうものだと、そう信じて疑わなかった。
しかし、意外とそうでもないような気がした。いや、大抵はそれが正しいと思う。ほとんどの人については、ぼくは日毎に無関心に、忘却の一途を辿らせている。しかし自分にとって圧倒的に素晴らしい人間については、むしろ離れることによって想念が純化されて、なお一層あの人は素晴らしかったのだなと、しみじみと思う。いや、痛感する、という言葉のほうが、よりぼくの気持ちを正しく表現している気がする。痛いほどに、感じる。
というわけで、ああ、ここに樋口が居たらなあと思った。それから、彼は本当に素晴らしい人間だなあと。それから別の人についても、物理的な距離を作れば自然と忘れ、薄れてゆくものだとばかり思っていたが、まったくそうでもないのかもしれないと、諦め混じりに、力無く笑うように思う。先日の誕生日に書いたブログが現実のものとなりそうな気が、ものすごくする。すなわち、一年後も、やっぱりぼくは虚しい気持ちでいるのだろうと。それはもう、どうにも仕方がないのだろうと。
自分の心をねじ曲げようと、矯正しようとするのを、諦めた。なにもかも、仕方のないことなのだと思う。そもそも人間なんて合理的にはできてない。不合理で、非効率で、そして途方もなく無意味な存在なのだ。
とか考えていると、ああもう死のうかなと、ひさしぶりに死ぬことを真剣に考えた。自分にとっての死の意味とか、生の意義とか、周りに及ぼす影響とか。いろいろ。
しかしデカンタが空く頃にはぼうっとしてきて、気分や思考はぼやけて、そうしてふと、ひとりでエアーはしごをしようと思いついた。つまり、たとえばここに樋口がいると仮定して、じゃあもう一軒行こうか、おおそうするかという流れである。つまりエアーはしごというわけである。
さっそく店を出た。電車に乗って、40分程度揺られた。すると見事に酔いが覚めてしまい、勢いもなにもなく、真っ直ぐに家に帰った。仕方なく焼酎をロックで飲み、風呂に入り、寝た。
乱交パーティをしていた。7、8人の男と女が、ホテルか何かの一室で性行為を貪っていた。
何人目かのとき、他の男がぼくの腰に一人の女を乗せてきた。「ほうら、おまえのよく知ってる女だろ」と、男はひどく下品に笑った。
確かにぼくは彼女をよく知っていた。しかしそれでも、ぼくは一瞬ふわっとして、というのも彼女とは何度もセックスをしたことがあって、その感触は自分の手のひらほどにも馴染んでいて、そこはかとない安堵感さえあったのだ。
しかし次の瞬間にはぼくはたちまち激昂し、彼女を突き飛ばした。このアバズレだとか、死ねだとか、思いつく限りの罵詈雑言を浴びせかけながら、殴る蹴るの、あらゆる暴行を加えた。それから、そばに折りたたんであった彼女の衣服と下着を、ハサミで切り裂いた。しかしそんな場面にも関わらず、布きれに帰してゆく衣類から、えも言われぬ懐かしさと愛おしい匂いを感じた。
ほどなく彼女は床に突っ伏し、虫の息となってぴくぴくと痙攣していた。首の関節や、腕や、足が、ところどころ、ありえない方向に曲がっていた。
ぼくはその横で膝をつき、吠えるように泣いた。悲しいのか、虚しいのか、苦しいのか、たぶんそれらすべてで、あるいはそこには嬉しさや喜びすら混じっているようにも思われた。
彼女はうめきながら、痛い、痛い、と絞り出すような声で繰り返していた。
ぼくは彼女に、どうしてほしいのかと聞いた。すると彼女は、もう死にたいと呻いた。
じゃあ死ね。
ぼくがそう言い捨てると、彼女は、先程ぼくが衣類を切り裂いたハサミを右手で掴みとり、自分の心臓あたりにまっすぐ突き刺した。その瞬間、彼女はヴーとバイブレーションした。ちょうど携帯の充電が切れる瞬間のように、ヴーと震えて、動かなくなった。
がはっとなって飛び起きた。携帯のアラームが、ヴーと、震えていた。彼女の感触が生々しく残る指先で、呆然と携帯を握り締めて、途方に暮れた。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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