生ゴミのにおい

最終更新: 2017/08/22

ゴミを出す日は決まっている。おそらくどこの自治体でもそうだろう。もちろん、マンションによっては専用のゴミ置き場があっていつ出してもよい、なんていうところもある。

が、わたしの住んでいるビルはそんなたいしたところではないので、ゴミ出し日は自治体に従わねばならない。

ほんとうにたいしたところではない。というか、ケッタイなところだ。なんてったって、換気扇が無いのだ。これにはもう、頭にきた。いや、日夜き続けている。

大家に聞くと、屋上で集中管理してご飯どきに回っているとのこと。集中管理なんていえば聞こえはいいが、単に不自由なだけである。そもそもご飯どきとは何時? というか換気扇が回っている音なんて聞いたこと無いんですが? ここは寮か下宿か刑務所か?

いい加減にしろ! 責任者出てこい!(大家はすぐ近くのいかにも高級なマンション最上階に住んでいる)。

しかもトイレにも、お風呂にも換気扇が無い。くわえて歩けば床がぎーぎーきしむ。トイレの流れは悪い。シャワーの水圧は弱い。いまの家のいいところは本当にただ広いだけ。まるでウドの大木のような家なのだ。でかいのはわかったからしっかり働け!という感じである。

もう、一日も早く引っ越したい。換気扇が無いことがこんなにも不愉快で不自由なことだとは、この家に住むまで知らなかった。換気扇は人類の偉大な発明だ。そりゃそうだ。原始の人びとが洞窟で囲んだたき火は、換気が悪くでさぞ大変だったろうと思う。

かなり脱線した。閑話休題、と。

さて、我が家のゴミ出し日をおおざっぱに説明すると、可燃ゴミは週に二回、プラスチック類は週に一回、ビン缶その他は隔週という感じである。

しかし、出しそびれることがよくある。だって、いままでそんな決まりを守ったことなどないのである。

福岡にしろ東京にしろ神奈川にしろ、出したいときに勝手に出していた。いや、そういう決まりだったわけではなくて、単なる若気のアウトローだっただけである。

しかし、いい加減守らねばいかんなあ、いい大人というか中年だしなあ、という良心(諦念?)から、いや、単にビル管理のおばちゃんが厳しいという怯えから、しぶしぶ真面目にしたがっているわけである。

いまは夏である。生ごみ、肉や魚の入ったトレイ、そういったものが詰まったゴミ箱は、ほどなく腐敗を始める。

2〜3日ならそれほどでもないが、一週間も経てばもう、完全に腐って、臭っている。

腐敗臭を、人間は敏感に感じるようにできている。なぜなら、危険ですよというサインにいち早く気づき、身の安全を守るためにそうなっているのである。

しかし、それにしても臭い。ゴミ捨て日を逃してしまったことに気付いた週末の夜など、ゴミ出し日をうらめしく思う。今すぐ捨てたい。

腐る。臭う。お風呂上がりに水を一杯と冷蔵庫を開けようものなら、そのすぐそばにまとめて置いてある(我が家にはベランダもない)ゴミ袋からツンと鼻をつく刺激臭。

爽やかどころの話ではない。もう、今すぐにゴミ捨て場に投げ捨てに行きたい。不法投棄でもなんでもいい。とにかくはこの汚物をどこか遠くへ放りたい。

しかし、ルールは守らねばならない。それが大人なのだ。しかし臭い。もちろんゴミを出さねばいいだけの話なのだが、人間は生きている限りゴミを出す。ことに現代人はゴミを出しまくる。

我々はこれほどにゴミを出し続けていいのだろうか? とかいう社会的な問いに興味はなくて、ただ臭い。くさい。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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