気力体力、ともに不十分

  2017/08/22

頭を打って二日ほどが経つ。痛みは和らぎつつあるが、身体のだるさが尋常ではない。

さらに酒を飲み薬物的快活によってくだを巻くことも可能だが、くだを巻くほどの元気もなかったので、まっとうに早く帰って寝ることにした。しかしそれでも、ご飯はきっちり食べる。すき家にてミニ牛丼+豚汁セットを召し上がり帰宅。シャワーを浴び、4時に目覚ましをかけ、20時半ごろには就寝。

一度22時半ごろに目が覚めて、水を飲んだ。つぎに零時過ぎに目が覚めて、水を飲んだ。3時48分に目が覚めて、水を飲んだ。まどろんでいると、目覚ましが鳴ったので、止めた。

部屋の掃除をする、絵を描く、ランニングをする。やるべきことがもやりもやりと頭の中で繰り返されたが、どうにも起きる気になれなかった。だるかった。ああ、なんにもしたくないと、このまま溶けて、腐って、消滅してしまいたいと思った。

ああ、ああ、もう少し、もう少しと思っているうちに、また眠りに落ちていた。5時になり、また目覚ましが鳴った。すぐに止めた。けっこうはっきりと目覚めていたが、やはり、なんのやる気もわいてはこなかった。枕に顔を押し付けて、ひたすらにぼんやりとしていた。

五月らしい陽気が差込み初めた窓が、なんとなくうらめしかった。散らかった部屋が、そもそも粗末な部屋の造作が、なんとなく、息苦しかった。

東京でのことをいろいろ思い出して、自分の選択が正しかったのかどうか、ちょっと自信が持てなくなった。でも、仕方ないとしか言いようがなく、それ以上でも、以下でもなく、あるのはただ現在だけだと思った。不幸とか、幸福とか、好き勝手な単語を無理やりに貼り付け当てはめた、ほんとうは名も無く意味も無い現在が、前のめりに未来に没入し続ける現在が、ただ、あるだけだった。

最近は、人間は本来一人ぼっちなのだから、愛する人と一緒になれたところで、やはりそれでも一人ぼっちなのだから、瀬戸内寂聴が繰り返し人間の本質は同床異夢だと唱えていたが、確かにその通り、共に抱き合って眠ったって、同じ夢さえも見ることができない。だから、つまるところ、ほんとうのほんとうは、現在の現状のありのまま、この一人きりの自分の存在で満足できるに違いないし、そこでの完成形を追求するのが高次元の人間のあり方だと思うし、それこそ真理だと悟っているのだが、悟り云々以前に、自分はただただ、さびしいし、むなしいし、かなしい。

瀬戸内寂聴に罪は無いが、黙れ瀬戸内寂聴。つーか単なるハゲは死ね。とか思っちゃうのは、自己言及のパラドックスみたいなもので、つまり、辞書で「石」としらべると、砂よりも大きくて岩よりも粒子が小さい土、とか書いてあるが、今度は「砂」で調べてみると、石や岩よりも小さい土、とか書いてある。という行き止まり。そもそもの一を知らないと、十を知ることができない。とかいうことで、いや、正確にはこれは自己言及のパラドックスとは似て非なるものだが、そういう感じ。

ぼくは愛する人の不在を嘆き悲しんでいるのであって、だけど、仮にその愛する人が自分と一緒になったとしても、それは一種の幻想でしかなくて、結局は、ひとりで、ひとりきりで、強く自立して、完成した人間として存在するべきなのだ、とか、思う。思うけれど、自分のこの語り口の本質は同床異夢に端を発していると思うし、まあ、瀬戸内寂聴は正しい。正しいけど、黙っとけハゲ、と思う。

それはともかく、起きなければ、部屋の掃除をしなければ、ご飯を作って朝ごはんを食べてお弁当を詰めて、絵を描いてランニングをして英語の勉強をして、しなければ、とは思ったが、そんなことをしていったいなんの意味が? という感じで、身体は一切動かなかった。

いや、動かなかった、というような表現は人間のずるさであって、ただただ、その気になれなかっただけである。

というわけでここ数日のぼくは、驚くほど何もやっていないクソ人間である。しかし、自尊心の低下等は特に無い。

ぼくは常常、自分に自信があるのは日々ストイックにがんばっているからだと言い、そう思ってもいたが、いやいや実際は、まったくの根拠のない自信であった。

こういう文章とか、ぼくの、ぼくらしい思考、ものの捉え方、発想、ぼくはぼくという存在そのものに揺るぎない自信があるんだなと思う。

一年くらい、のんべんだらりと寝て過ごしても、罰も罪も無く、相変わらずぼくはぼくだろうというのが、今この瞬間の心境である。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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