何かあるようでなにも無い日々

  2017/08/22

実家の生活にも慣れた。広島の空気にもなれた。職場にも慣れた。すべて慣れた。

慣れた途端に日々が透明になる。何かあるようで、何もない。何かしているようで、何もしていない。

今日は祝日なので、家で延々と先日撮影した卵やら牛丼やら生野菜やらをphotoshopで切り抜いている。卵の白身部分は透明で背景の色と溶け合っていて自動選択ツールが使えないので、拡大できるだけ拡大して、消しゴムで地道な作業となる。完全にかったるい。しかし、やらねばならない。確かに、ちゃんと絵の制作に関すること、というか、とても大切な作業をやっているのだが、しかし、おれ、いったい何やってんだろうという気持ちも消しがたく在る。

いろんなことがどうでもよくなってきた。何もかも、たいしたことではない。取るに足りない瑣末なことばかり。少なくとも、泣いたり、怒ったりといった激情とは無縁の日々である。

安定はしている。ぼくにとって絵は、安定した日々の中でコンスタントに制作してこそ出来上がるものであって、別に、何か安定が根底から揺らがされるようなイベントが欲しいというわけではない。

絵を描くこと。お金を稼ぐこと。誰かを愛すること。ああ、大切なことはなんだったっけ。何がしたいんだったっけ。とりあえず三十路男性としては、犯罪をおかすわけでも引きこもるわけでもなく一応社会的にまともな感じでごくごく健全に生きられてはいるのだけれど、だからどうなんだという話。なんだかいろいろとくだらねえなと思う。

なんというか、ほんとうはわかっていて、ぼくがいま一番したいのは結婚であって、そして子供が欲しくって、それで家族なんて呼ばれるものを構成して、そこにお金を運んでくるという生活をしたいと思っていて。もちろん飽きっぽいぼくなので、それが出来上がった瞬間たちまち飽きてしまい解散、つまり離婚となるのかもしれない。でも、とりあえずいまは、自分のために働くことに飽き飽きしている。

そんなに金もらってどうすんだよと思う。モノやコトでもなんでもいいが、自分のためにばかり金を使ってなんになるんだよ。てめえがいくら喜んだってしょうがないだろう。次元が低いんだよ。ほんとうにつまらないしくだらない。

まあ、そんなフラストレーションは芸術に捧げなさいよという話なのだが、現代アートの中で一番残念な表現は、個人的な感情の安っぽい発露であって、そんな作品を作るくらいなら絵なんかやめちまえという話なので、ぼくは個人的感情抜きで、コンセプトに忠実に、淡々とカップヌードルおよび牛丼の絵を描き続ける、しかない。

しかないので、つまり、この"ほんとうにクソおもしろくもない日々のフラストレーション"のはけ口が、無い。

無いので、さあどうしよう。お酒でも飲もうか、ということになる。

そうしてお会計をするとき、ぼんやりと思う。この三千円とか四千円とかでぼくはまあそこそこ気分よく酔っ払ったわけだけど、もしも妻が居たり子供が居たりしたら、そのお金でケーキかなんか、お土産でも買って返ったりしたほうがよっぽど、百万倍は有意義なお金の使い方だし時間の使い方だよな、って。

湿っぽい話だが、実際湿っぽくて、カビが生えてきかねない。やはり仕方が無いので酒を飲もう、とこうなる。そしてやっぱり帰るとき、なんてくだらねえ金と時間の使い方なんだろうと思う。その繰り返し。そうして歳を取るだけ、老化するだけである。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

ご支援のお願い

もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。

Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com

Amazonほしい物リストで支援する

PayPalで支援する(手数料の関係で300円~)

     

ブログ一覧

  • ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」

    2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。

  • 英語日記ブログ「Really Diary」

    2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。

  • 音声ブログ「まだ、死んでない。」

    2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。

  • 読書記録

    2011年より開始。過去十年以上、幅広いジャンルの書籍を年間100冊以上読んでおり、読書家であることをアピールするために記録している。各記事は、自分のための備忘録程度の薄い内容。WEB関連の読書は合同会社シンタクのブログで記録中。

前の記事
友達のつくり方
次の記事
この地方を見よ

  関連記事

労働の先の先

2008/05/12   エッセイ

一日を通して空は暑い雲に覆われていた。雨が降りそうだったけれど降らなかった。洗濯 ...

新宅睦仁 個展「カップヌードルの滝」(東京)2015/9/8〜9/27

いよいよ来週の火曜日から、昨年の「牛丼の滝」に続いて私の人生二回目の個展「カップ ...

セミの声が変わったのではなく

2008/08/28   エッセイ

最終日はなんだか甲子園な気分。 砂を拾って小瓶に詰める。 僕らの夏は終わった。 ...

感覚は教えられない

2012/04/10   エッセイ, 日常

おはよう、下等生物の諸君、というフリーザ的なキャラで始まりたい朝。 そう、ぼくの ...

普通を作った人

2008/06/30   エッセイ

コロンブスの卵の話は、ある意味ケンカ売ってるような話だと思う。 この橋わたるべか ...

当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

Unauthorized copying and replication of the contents of this site, text and images are strictly prohibited. All Rights Reserved.

Copyright © 2012-2024 Shintaku Tomoni. All Rights Reserved.