かつての子供が親になり
2015/07/03
電車内で子供が泣きわめいている。時々、そういう車両に乗り合わせる。
微笑ましく思えるときと、うとましく思うときがある。最近は、そこにうっすらと、うらやましさが混じるようになった、気がする。
うとましく思うときには、いつも次の言葉を念じる。子供嫌うな来た道だ、年寄り嫌うな行く道だ、と。
それはそうなのだが、やはり機嫌が悪い時などは、苛立ちを抑えることができない。笑いかけながらあやしている親の笑顔に、また一層の苛立ちを覚えたりもする。
まあ、我が子だったら泣こうがわめこうが、ただただかわいいんだろうなと思う。
そう思うが、その感覚をぼくはまだ知らないので、はっきりとはわからない。だから、たぶん、そうなんだろう。よくわからないけれども。
しかし、親の立場での経験は無いが、子供という立場はもうかれこれ30年以上やってきたので、だいたいはわかる。
ぼくがいままで親に対して何度もうそぶいてきたし、我ながらそう思うのは、「子は三界の足かせ」だということ。
前世、現世、来世と、生まれ変わったとしてもなお、下ろせない重荷だということである。
そう自覚しているので、子供を産むからには、その道を選択するのだという意識と、並々ならぬ決意が必要だと思う。そうでなければ、子のからむ、世の中の不幸のあれこれを引き合いに出すまでもなく、それこそ一生を棒に振ることになりかねない。
こんなことを書こうと思ったのは、【うちの子が、なぜ!―女子高生コンクリート詰め殺人事件(草思社)佐瀬 稔 (著)】を読んだからである。
ご存じの方も多いと思うが、興味のある向きはwikipedia等で調べてみてほしい。とはいえ、心底鬼畜の所業だと思わざるを得ない凄惨な事件であるので、そういった内容に耐性のある方はという但し書きを添えておきたい。
ぼくは耐性がある。というか、その手の事件が大好きなのだ。なんて、単なる好奇心から購入した本だが、どうして、下手な教育論的な本よりもよほど考えさせられるところのある本であった。
しかしながら、Amazonでの評価は「著者は加害者の擁護をしている!」などという理由で低評価が目立つが、それはちょっと見当違いな批判ではないかと思う。
著者のあとがきにあった下記の一文が、本書を通底する骨子ではないかと思う。
「愚かな親は、これから子を持つわが子にどんな言葉を伝えればいいのか。
あらゆる子は、三歳になるまでに一生分の親孝行を完成してくれるのだ。それより以降は、親が子に向かってひたすら孝行の恩を返す番となる。
そう観念し、念には念を入れて子を愛せ。子への愛に、けして手を抜くな。」
これから、いつかは知らないが親になる予定の自分としては、その通りだろうと思う。
他人は言うまでもなく、親兄弟だろうが、そして自分の子だろうが、それは自分とはまったく別の存在、生まれながらにこの世のすべての人間存在とは切り離された絶対的な個なのである。
それを、育てる。教育する。
そう考えると、思わず及び腰になってしまう重責を感じる。
愛することに限らず、なんであれ始めることは簡単だ。しかし、続けることはいつも難しい。
だからかもしれない。安産、無病息災、家内安全、人はしばしば願う。
それはたぶん、漠然とではあるが、自分の努力とは関係のない、いわゆる人知の及ばない、どうにもとらえきれない不可侵の領域があると感じている、または信じているからではないか。
それは、空気中の二酸化炭素のようなものかもしれない。空気中にわずか0.035%しか含まれていないにも関わらず、絶妙な温室効果をもたらし、仮にそれが無かったら地球全体が凍結すると言われている。
そういう奇跡的な成分は、それこそ人のどうこうできるものではない。運と呼ばれもすれば、神と呼ばれもする。
しかし、それ以外の領域については、たとえば99.965%は、生身の人間が、ただひたすらに身骨を砕いて築いてゆくしかない。たぶん、この世はそのようにできている、と思っている。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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