とりとめもない夜の、とりとめもない話

最終更新: 2015/07/03

先週の土曜日のこと、読書会メンバーの方々のつながりで、要町にある友人宅で飲んだ。

正直なところ、会った回数は片手で収まるほど付き合いもごく浅いし、そこまでの仲でもないと思っていた。いわゆる薄っぺらい人間関係。

だからまあ、時間に比例して話は尻すぼみになり、そうして、終電も近いんでそろそろ、ということでお開きとなる。帰りの電車の中では、今日の話ではなく、もう、明日のこととか、来週のこととか、とにかくはその日の出来事のことなどたちまち遠い過去になっている。

そういう感じだと思っていた。

しかしいつの間にか、当たり前のように終電を超えていた。他の二人はすでに横になり、平和にいびきなどかいて眠りこけていた。

それで、ぼくと、サエキさんという、一年半ほど前からTwitterおよびFacebookを通じて、地味に、しかし意外な強度でつながっている、人生にやや訳ありな33歳既婚男性と二人で話し込むという状況になっていた。

言うまでもなく、ぼくは酔っぱらっていた。サエキさんも酔っぱらっていた。

ぼくの口からは、とりとめもない話題が、振り回して空け放った炭酸の缶のようにあふれ出ていた。サエキさんは、それらの言葉のひとつひとつを、やけに丁寧にかみくだいて(そのように見えた)、これまたひとつひとつ丁寧に答えていた。

それらの会話は、ごく凡俗な話だったかもしれない。しかし、なにがどうというわけではないが、どこかしら、崇高なものだったような気もする。

3時を回り、4時を回る。全然眠たくなかった。無理をして起きているという感じではなかった。

それは大学生の時分の、めくるめく夜夜に似ていた。その時間が、永遠に続くように思われた。久しく感じていない、あまりにも懐かしい、漠然とした幸福感があった。

冷静に考えれば、30歳を過ぎて枯れ始めた中年男性二人が、延々と酒をあおり(ぼくはさすがに限界を感じて緑茶であったが)、ぼそぼそとよくわからない話を続けているだけにも関わらず、ちょっと、並々らなぬ幸福感があった。

最近しばしば感じている孤独、さびしさとはほど遠い……と書こうと思ったが、ちょっと違う。むしろそれは、さびしさとぴったり真横に居るような感じであった。

さびしさと手をつないでいるような感じだと言えるかもしれない。

というわけで、寂しさつながりで社説に接続する。というか、むしろ今日の記事は、この社説を転載したいがために書いたようなものである。

【世界で一番寂しい場所は?…】

世界で一番寂しい場所は? 答えは南大西洋の英領「トリスタンダクーニャ島」。260人ほどの住民がいるが、人が住む最も近いお隣さんのセントヘレナ島まで約2400キロ。「世界一孤立した有人島」とギネスブックに登録されている

▼ではユーモア問題。この時期、世界で一番寂しい人は? 答えは中央アジアのイスラム国タジキスタンのサンタクロース。外電によると、国営テレビでサンタが登場する番組の放映が禁じられた

▼旧ソ連時代からのキリスト教の習慣を薄めることが目的という。年中行事を楽しみにしていた子どもたちのがっかりした顔が目に浮かぶ

▼きょうはクリスマスイブ。宗教の自由も、無宗教の自由も、行事ごとに宗旨変えする自由も認められているわが国では、街に電飾があふれる。家族や恋人、友人と楽しい時間を過ごす人も多いだろう。特に、若い人には最大のイベントらしい

▼独りぼっちで過ごすクリスマスを、昔は「シングルベル」と言った。最近は「クリぼっち」と呼ぶそうだ。人がひしめく都会でも、絶海の孤島にいるような寂しさに胸ふさぐこともある。とりわけ世間が浮き立つこの時期は

▼近所付き合いもない一人暮らしのお年寄り。人とうまく関われない若者。孤立した「無縁社会」に生きる人が増えているという。誰かと言葉を交わす機会がなければ、せめて小欄から。メリークリスマス、そしてよいお年を。

=2013/12/24付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syunzyu/article/59847

転載してはみたものの、わざわざ紹介するほのものではないしょうもない話だなと今気がついた。

閑話休題。

つくづく思うが、幸福もしくは幸福感というものは、いつも不意打ちに訪れる。どこからやってくるのかわからないが、とにかくは計画や予定や計算とは無縁の存在のようである。

仮に、前回楽しかったからまた飲みましょうと言って集まったところで、もう二度とは、あのような心持ちにはなれないだろうと思う。むしろ前回と比較して、つまらない気分にさえなるだろう。同時に、むなしさも覚えるだろう。

何が、誰がとかいう話ではない。人生とはそういうものなのだし、そういうふうにできているのだ。

だから、ぼくとしては、いつでも刹那的でありたい。次の瞬間に死にからめ取られてもまあいいかと思えるような態度で生きていたい。

とかなんとか言いつつ、翌日は絶望的な二日酔いで、こんな状態では死にたくないとしか言いようのない、どうしようもない一日であった。

まあ、だいたいいつも、死ぬつもりで徹底的に酒を浴びてしまう性質なので、甘んじて苦しむしかない。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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