彼の名はインフルエンザのはずだった

  2017/08/22

ヨッ、しばらくぶり。数えてみればはや一週間近く更新しておりませんでした。

事情はあります。連休はともかく、連休最終日の夜から発熱しており寝込んでいたのです。

それはもうひどい発熱、悪寒、吐き気、全身の筋肉の痛みでございました。おかげで最初の一晩などはまんじりともできませんでした。

わたしはあーあーうーうー痛い痛いと言いながら布団の中で携帯をいじり近所の病院を探しました。幸い徒歩2分ほどのところに多摩ファミリークリニックなんていう、いかにもやさしそうな名前の病院がございました。

しかし開院まではまだ7時間はありました。しかも時間が全然進まない。病気のときの時間の進みの遅さったら、ない! そう、深夜2時ごろが特に苦しかったのであります。

病気とはかくも苦しいものだったのかと、日ごろの健康を改めて思い知りました。元気があれば何でもできるが、元気がなければ何にもできない。健康はありがたい。酒は飲むが喫煙なし、食にも気を使う方で、適度に運動もしている。30代独身男性としてはかなりQOLの高い部類に入るであろうわたしでさえも病気になるときはなるのである。となると、誰だって病気になるわという自己中心的結論に至りました。

更けない夜が延々と続きます。うとうとしかけて、けっこう寝たかなと思って時間を見やると、15分も経っていない。心底がっかりする。もっと時間よ進め。さっさと進め。全身が痛い。ぐらぐらする。果てなき苦悶の時。

救急車でも呼んだ方がいいのかしらとひとり喘ぎながら考えてみたりもしたのですが、いいや、いっそ死んだほうがいいんだな、いや、死ぬな、これは、人間ってこういうときにコロッと死んだりするんだ。そう、人間の運命なんてわからないものよ、人に夢と書いて儚いというんだ、ああ、儚かったなおれの人生は、でもまあ、けっこういろいろやったなあ、いろいろ恋愛もしたし、いい友達もできたし、なにより素晴らしい家族のもとに生まれ落ちて、なぁ、おらぁ、幸せだったなぁ、悔いはねぇ、いや、悔いは結婚をしたことが無いことと我が子を抱けなかったことと画家になれてないことと美術館で個展ができてないことと、ってけっこう悔いがあるわ、うう、う、ぐすん、ぐすん、ぐじゅじゅじゅじゅじゅ

……なんてことをとりとめもなく考えておりました。

さて、ようやくで一晩をやり過ごし、朝になりました。

多摩ファミリークリニックの診察は9時からとありましたが、受付自体は早いだろうと思い、8時半には家を出ました。8時33分に着きました。

2分ではなかったのは、雪が降り積もっていたからである。真っ白な雪が無駄にキラキラとしていて、猛烈に具合の悪いぼくの眼には毒でしかなかった。消え去れ残雪、目ざわりだ。

8時33分。しかし、受付自体は8時45分からで、それまでは中にも入れないのであった。わたしは38度5分の熱を抱えながら、ひとりそこらをふらふらとさまよい、と言ってもさまよう気力も体力もないので、病院となりの閉まっているインド料理屋の前で、ひとり気力をふりしぼって立ち尽くしていた。

店外に張り出されていたインド料理の写真の数々、カレーやら、ナンやら、タンドリーチキンやら、とにかくはスパイシーで刺激的な料理を、うつろな目で眺めていた。まったく食べたくもなく、むしろ吐き気をもよおしていたが、ほかに見るべきものもなかったので、ただ眺めていた。

それにしても時間がちっとも進まないのであった。

12分後、多摩ファミリークリニックに受付に向かった。するとすでに先客があった。ドアの前に立って開くのを待ち構えているのである。

ぼくはそういう"いかにも待ってます"みたいな振る舞いが嫌いなので、図々しい下等なメスブタめ、と心の中でつぶやいて、開院すると同時にメスブタのあとに続いた。

しばし待ったあと、医者のもとへ通された。恋愛事情、好きな芸能人、性癖以外の一般的なことをあれこれ聞かれたのち、インフルエンザ検査とあいなった。

わたしは採血でもするのだろうと思っていたのだが、何やら長い綿棒を鼻の中に突っ込むという。インフルエンザは鼻の奥が好きなのだという。だからそこの粘液を採取すれば分かるのだという。しかもすごく奥まで突っ込むという。しかもけっこう痛いという。お、お、おまえさぁ、長いものを穴に突っ込んで痛いなんて、まるでそれじゃあ……というような想像力を働かせる元気はなかったので、わたしはなされるがままであった。

わたしはかつて経験したことのないその痛みに耐えようと目をつぶったが、彼が、ではなく医者が「目をつぶると力が入るから目をつぶらないほうがいいよ」と言った。お、おまえさぁ、手取り足取りパワープレイやってんじゃねぇよ、わしゃ処女か! というような元気もやはりなかったので、なされるがまま、犯されてしまったわたしであった。30歳、遅い春であった。その後永く、鼻の奥に突っ込まれた棒の感触が残っていたのは言うまでもない。

しかしそのような暴挙に及ばれたにも関わらず、結果は陰性であった。正直ふざけるなという気持ちであった。しかし発症から半日は経たないとインフルエンザの場合でも陰性となる場合があるという。なので現時点ではインフルエンザの可能性もあるし、ひどい風邪だという可能性もある、とのことであった。

なんというすっきりしないグレーな回答。お、おまえさぁ、そうやって曖昧なこと言ってはぐらかして、あ、あんた、あたいをキープする気ね? ははぁーん、あんたさてはプレイボーイ、下世話に言うならヤリチンね! あたいはね、そういう輩はまっぴらごめん!切り捨て御免!お断りよ!出てってよ!(って、時すでに遅しだが、若き日の過ちは往々にして事後にしか気づけないものなのである、ってこんな教訓をここに挿入する必要はまったくないことはわかっている。いや、挿入という単語は入れたかった、ってやかましいわ)。

ちなみにこのような文章を書けている今、ぼくがインフルエンザかどうかはともかく、元気か病気かは、鼻の奥に棒を突っ込むまでもないだろう。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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