続・さよならぼくの一部(前編)
2017/08/22
東京を離れてから1ヶ月も経っていないのだが、再び東京に行った。
別にさびしくなってとか恋しくなってとかではない。専門学校の卒業式というまっとうな用事で、である。
正直言うと全然行きたくなかったので「仕事で行けませんさようなら。え?学級委員だから答辞を読め?仕方ないでしょ仕事なんだから!無理です!行けません!知りません!」と、得意の無責任でざっくり切ってしまおうかとも思ったが、かろうじて良心がまさり、ご出席とあいなった。
3月9日の土曜日の15時30分くらいに家を出て、21時前くらいに懐かしの、と言いたいところだがちっとも懐かしくない、というか広島よりもよほど見慣れた向ヶ丘遊園に到着した。
土曜日で休日にもかかわらずこのような時間に到着したのは、出かける前にしっかりぼくの中での義務、絵の制作とランニングをしっかりやってきたからである。
で、やってきたのは親友の樋口氏。さっそく庄屋で飲んで広島での一月ばかりの生活における心情の吐露をさせていただいた。まあ、話すことはひとつしかないのだが、ほとんどぼくばかりがしゃべっていたと思うし、あんまり樋口の話を聞いていなかった。でも、その話をちゃんとできるのはこの世で樋口くらいしか居ないので、話せてまあすっきりした、というのはまったくの嘘で、やっぱり悲しくてやりきれなくて仕方がなく、東京滞在の三日間、結局そのことばかりを考えていた。とか書くとそれがなんなのかいつもの調子で暴露しろよという感じだが、ぼくにだって秘密くらいあるのである。
それはともかく、酩酊によって時間は縮まり、たちまちのうちに朝がきて、軽い頭痛と胃の重さだけが残された。@樋口の家。
しかししっかりと起きて、10時過ぎには一緒に家を出た。徒歩3分ほどの岡本太郎美術館に行って、岡本太郎現代芸術賞展を見た。展示作品のひとつに、刺青の入った人物の木彫で、異様な量感とインパクトを醸し出しているのがあって、ぼくは思わず「こいつは売れるな」と、業界人ぽいことをやや大きめな声で言った。言った瞬間、学芸員の視線が妙に意識されて、しかもその視線は(むむ、こいつはできる!)というような意味を含んでいるように思われて(きっと勘違いだが)、ぼくはダメ押しで「ミズマあたりに行きそうだな」と、やはり業界人ぽいことを言っておいた。学芸員の(むむむむむ、こやつはかなりのアート関係者では?)という視線(やはり勘違いだが)を受けながら、どや顔で展示を見て回った。この展覧会は毎年度肝を抜かれることが多いが、来年からは来ないだろうなと思う。
それからブランチとして、常連だった回転寿司屋で海鮮丼(500円)を食べて、表参道に行った。表参道など別に好きではないのだが、夜は友達の誕生日会があるので、そのプレゼントを買いに行ったのである。が、駅のそばにあった靴屋で、衝動的に靴を買った。プレゼントではなく自分のである。そして即座に履き替えて店を出た。それは赤い靴で、その日のぼくの服装にとてもよく似合っていて、なんだか今日のおれは表参道っぽいなあぁ(自己評価および樋口評価)と軽口を叩きつつ、友達の誕生日プレゼントはMoMAショップで適当に見繕った。
それはともかく、この時、妙に街がきらびやかに感じられた。今まで、表参道に来てもそんなことを感じたことは無かった。広島の灰色さとの対比か、それともぼくの意識の変化か、何か。まあ、確かに意識としては、ぼくはあくまでも旅行者であり部外者であって、たとえば「表参道好きなんだよね」とか言ったところで、それは地方の人間の口から出れば単なる「東京かぶれ」でしかなく、東京在住者の口から出たものとは自ずから異なる響きと意味をもつ、というようなことではないだろうか。
離れてみて、初めて見えるものというのは確かにあるのだと思う。だからと言って東京に戻ろうとは思わないが、しかし、今つくづく思うのは、ぼくには郷土愛というものが完全にゼロなのだということである。いやむしろ、たぶん広島というものが好きではないのだと思う。じゃあ東京が好きなのかと言えば、これまたそうでもない。
たぶん、これはぼくの性格によるものだろう。実際思うのだが、住む場所などどこだっていいと思う。大事なのは周囲の人間であって、世界のどこに居たって笑って暮らせるはずである。がしかし、今現在、ぼくが心から笑える人間が揃っているのは東京であるということは、必然的に、場所云々以前を置いておいても楽しく暮らせるのは東京なのかもしれない。
が、ともかくは行動を起こせばそこに必ず変化が生じるわけで、実際広島に帰ることによって得た、この「地方から見た東京」「東京から見た地方」、「地方の現実」や「東京の現実」という視点と実感だけは大きな財産になることだけは確信できる。
今後どう動くことになるにしろ、広島に帰るという選択をした自分の行動は、絶対に正しかったということだけは、信じられる。とかなんとか言って、単に無理やりにでも信じたいだけかもしれないが、実際のところはそうするしか他になかっただけである。
閑話休題。
用が済んだので竹橋の東京国立近代美術館に向かった。今回の上京のメインイベントである(卒業式よりそっちのほうが100万倍大事)、フランシス・ベーコン展をやっているのである。
フランシス・ベーコンは、高校の時の美術の教科書に載っていた「法王インノケンティウス10世の肖像に基ずく習作」を見て以来、ぼくの中でもっとも尊敬する画家であり続けているのである。にも関わらず実物は1枚しか見たことがない。まとまった量の作品を見るのは始めてなのだ。それは言ってみれば15年越しの恋慕のすえの成就に近いものであった。樋口もまたしかりで、大学のころよりベーコンについて幾度となく語りあったものであった。
続く。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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