続・さよならぼくの一部(中編)

  2017/08/22

念のため、この日は3月10日であると断っておく。

竹橋を降りると不穏な空であった。黄砂ひでー、と思ったが、じきにそれは煙霧とかいう珍しい現象だと知った。が、身体に超絶悪いことだけは何ら変わりなかった。というかもっと身体に悪そうだった。

筋金入りの花粉症の樋口はマスクをつけていたが、ぼくは何故だか花粉症と縁がないので丸腰で、つまりマスクを持っていなかった。

ただ、そんな気象にも関わらず皇居の周りをハアハアぜぇぜぇ丸腰でランニングしている人も居たので、人の感覚というのはつくづくわからないと思う。

そんな馬鹿者どもはさておき、「ベーコン1枚、学生で」と、最後の学割を行使して入館した。しかし"ベーコン1枚"ってと、すこしだけ笑った。

駆け足で見て回った。なんといっても「法王インノケンティウス10世の肖像に基ずく習作」をとにかく早く見たかったのである。どこだどこだどこだと鼻息荒く進んでいくと出口にぶつかった。え?という感じである。え?ないの?美術手帖の表紙にまでなってたくせに、あれがないの? なんでないの? おい! 責任者出てこい! 金返せ! なんて言ってもしょうがないので、仕方なく振り出しに戻りもう一度ひとつひとつ丁寧に見た。

しかし何故だかそれほどの感動もなく、ふーん、こんなもんかという感じであった。興奮という点では、会田誠の天才でごめんなさい展のほうが興奮したなあと思う。それでも、やけにはっきりと"現代"と"近代"の美術の違いが感じられた。というか現代はアートであり、近代は美術なのである。そう考えると、ベーコンは確かに素晴らしいが、やはり近代にカテゴライズされちゃうよなあ、という感じ。

まあ、楽しかった。あの美術手帖は詐欺もいいとこだよなとかなんとか話しながら、誕生日会のある新宿まで戻った。樋口がまだプレゼントを買っていなかったので、BEAMSに行った。ちょっと目を離しているすきに、なにやら樋口が店員と仲良くなっていて、ぼくのことを広島から遊びに来ている友達だと言って紹介した。瞬間、あらためて、そう、ぼくは広島から来ていて、ここは広島ではない。ここはもう、ぼくには遠い東の果てであって、生活の場というかホームグラウンドでは決してないのだよなと、しみじみと感じた。それは確かに決して愉快ではない寂しい気持ちではあったが、しかしだからどうしたのだとも思う。

仮にその寂しさが嫌で苦しいのであれば、今すぐにでも東京に戻ればいいわけであり、というか誰に強制されて広島に帰ったわけでもないので好きなようにすればいいわけであって、実際そうしようと思えばすぐにでもできるのである。そんなこと、恐ろしく簡単なことである。恥や外聞を気に病むぼくではない。そう、それはぼく自身が選んだ道であって、そうするしかぼくにはできなくて、もしもそれ以外の道があったならどうか神様教えてくださいと懇願するわけで、現に何度となく神様に祈ったし願ったし恨んだし、とにかくは神様へのアクセスを試み続けたが、しかし神様というのは結局のところいつだって沈黙しているのであって、つまり、ぼくは声なき声を聞き、とどのつまり、結局は一人ぼっちで、決定するしかない。神の存在を信じながら、また疑いながら、どう頑張ったって結局は、一人きりで。そうして下した選択は、実際広島に帰ったことは正しくて、正しすぎるほどに正しくて、しかし正しい行いが常に幸福に繋がっているかといえば、それは必ずしもそうではなくて。ああ、正義。ぼくは正義の道を選んだのであるが、しかしあるいは、あのまま外道だったとしても、いや、外道のほうがよほど正義を貫く人よりも大笑いして楽しくやっている、ということも全然あり得る。あり得るのだが、ぼくはきっと根本的に外道という現実よりも正義という幻想を求めてしまうパラノイアもいいとこな残念な偽善者なのであって、ほんとうは外道のほうがなんだかんだ楽しくて、絶対に幸福ではないけれどもかといって絶対に不幸でもないような心持ちでまだ幾年もの年月を過ごせたに違いないのだけれど、しかし、それを、許すことができなかった。そしていま、確かに正義の人となってほとんど五年ぶりに憤怒を忘れた一月ばかりを過ごすことができたわけだが、しかし、それはそれで、正義というのはおそろしく退屈でもあるのだなと思う。翻って外道。その外道の中身がたとえ糞尿まみれだとしても、一応は中身が詰まって満ち満ちている。そう考えると、正義の中身は、往々にして空虚なのではないか。それは風船のような軽さで、空っぽで、それで浮かびはするが、一応は高みにあるので人はそれを見上げるが、それは宙に舞うだけ舞って、ただよって、いつかしぼんで落っこちる。いやしかし、それでも、正義が、正義こそが、わたしの望む人生である。

世界堂に行って色鉛筆と絵の具と筆を買った。広島の画材屋にはまだ一度も行っていないのである。というかどこにあるかよくわからないのでめんどうくさくて行きたくない。それからISETANの地下に行ってケーキをホールで買った。友達へのメッセージを、チョコレートの板に入れてもらった。ああ、誕生日らしいなと思った。それを誕生日らしいと感じるということに、ぼくは、とても日本らしい中流のまっとうな幸福の中で育ったのだなと、思った。

幸福って何なのかよくわからない。と言いたいところだが、幸福なんてものは、説明不要の単純至極なものだろうがと、憤り混じりに思う。

続く。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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