居酒屋紀行:いい店とわるい店
2017/08/22
なんか大仰なよくわからないタイトルをつけてしまったが、とにかくは居酒屋の話である。
おとといのこと。仕事から帰宅後、1時間半ほど絵を描いて、居酒屋にでかけた。例の、我が家の目の前にある超優良居酒屋「とみ」である。
のれんをくぐると、店の大将はぼくを見て(おっ、また来たね)という顔をし、ぼくはこんばんはとあいさつをする。もはや顔なじみである。
先日はひぐちとも訪れて、おおいに馬鹿話と馬鹿笑いをふりまいてしまったので、いつもひとりで静かに新聞や文庫本を読んでいるぼくのイメージがちょっと変わってしまった気がする。
まあ、そんなイメージはどうでもいいのだが、それより、「おれにはほんとに郷土愛というもの無い」という話もしたので、おそらく大将には非国民(非県民?)だと思われているかもしれない。
さらにそんなこともどうでもいいが、つくづくいいお店だと思う。安い、うまい、雰囲気がいい、お店の人の人当たりもいい。すべてがいい。少なくともぼくにとっては最高のお店だ。そうして、また来たいなあと心の底から思う。
最近は絵を描きながら晩御飯を考えるともなく考えていて、冷蔵庫の食材が乏しいことに思い至ったときなど、しめたとばかりに「とみ」へ行こうかと考えてしまう。
「とみ」の閉店時間は23時と早めである。それが唯一のネックである。ぼくは少なくとも1時間半くらいは飲みたいのだ。だからして、「とみ」へ行こうと決めると大急ぎで絵を描き進め、早々に切り上げてシャワーを浴びて、ほくほく顔で「とみ」へ向かう。
小ビールを頼んで、中国新聞の夕刊をさらっと読んで、スポーツ新聞改めバカ新聞はもう手にも取らずに持参した書籍片手に酒をなめる。
しかし、読書はしばしば滞る。というのも、隣のおっさんやおばさんのどうしようもない与太話が嫌でも耳に入ってくるからだ。
「最近の親はおかしいよ。子供を居酒屋に連れていくんじゃけえ。それにしても最近の子は遅うまでよう起きとるよ。でも、子供は泣くじゃろう。そりゃああたりまえじゃが、わしらの頃は、周りの迷惑になるけえ、家でごはんを済ますのがふつうだったけえ。それが今じゃ、いくら泣き叫ぼうが親は知らん顔で、周りのことも考えんとあたりまえじゃ思っとるけえ、やれんよ。だって、静かに飲みたい人だっておるじゃろうけえのう。ほんま、ああいうのを見よったら、日本はおしまいじゃと思うで。ああいう親の子が育って、人のものを盗ってみたり、人を殺してみたり、するんよのう」
論理の飛躍はおっさんおばさんの十八番である。しかしこの種の話は傍で聞いているぶんには、ただただおもしろい。ついにやにやしてしまう。おまえが一番こえーよ、なんて思いながら、口角が上がるのを抑えることができない。いやいや読書読書と思いつつも、もはや文字は追えていない。
ほどよく酔いが回ってくる。おっさんやおばさんの長広舌は天の川のように途切れることなく続く。いや、そんな美しいものではないが、しかし、あるいは、それはぼくにとっては一種の音楽となって、ぼくの気分をわけもなく楽しいものにしてくれる。
完全なる俗世間である。これ以上はないだろうという俗世間の極みである。そこに頭のてっぺんまでどっぷりと浸る。
なみなみならぬ幸福感が、静かに、しかし深々とぼくの心を満たしてゆく。
この幸福感について、人は理解に苦しむような気がする。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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