女の尻と一生
それは彼の出来の悪い娘に見えなくもないが、違う。
性的なものが漂っているし、カネのにおいもする。
「タバコやめたん? すごいね。どうやってやめたん?」
女はいかにも軽々しい調子で、きっと彼女の親よりも年上だろう男性に言う。
「あれよ、ニコチンの、ガムよ」男の声質は完全に老人のそれである。
「へえ。あれって、効くん? ていうか、保険効くん?」「ああ、まあの。」若い女の澄んだ声と、そこに端から泥を塗るようなタンの絡んだ声のやり取りは奇妙で、いやでも耳につく。
どこぞのクラブだかキャバクラだかの、いわゆる同伴出勤であろう。長い髪に、短いスカート。つまり彼女は彼女を売っており、彼はその商品を買っている。
紀元前から、なんなら原始の時代から、かような商売の絶えたことのない人類史であるので、それはそれで構わない。ただ、ここが福笑い的おっさんがイメージキャラクターの激安居酒屋チェーン店となれば話は変わる。
しおれた懐事情が知れるというものだが、他方、股間にはかなりの一物を秘めているらしい。
「ちゃんとごはん食べよる?」女が聞く。「まあ、の」男が答える。「昨日なに食べたん?」「うん、コロッケ」「買ってきたん?」「ババアが、作ったやつよ」
それが老母か、老いた妻のことかは知れない。ただ、いい年をした大人の物言いでないことだけは確かである。
「そうなん。人が作ってくれたものって、おいしいよね」「まあ、のう」「最近、人の作ったものって、食べてないなあ。」「コロッケ、頼むか?」
話は一切の起伏も熱もなく、いっそカウンセリングのような冷静さで淡々と続く。私はそれを遠く聞きながら、空いた生のジョッキを店員に渡し、ハイボールを受け取る。
「ちょっと、タバコ吸ってきていい?」彼女は立ち上がり、黒い革のジャケットを羽織って店を出る。ひとりテーブル席に残された男は、とたんに等身大の老人に成り下がる。
今ごろ、彼のババアは何をしているのだろうか。
女が戻ってくると、「いくらかいの?」男が声を張り上げる。ふたりは連れ立って、会計に向かう。真横をさっと通り抜ける時、わかりやすく性的な香水が鼻をつく。
ババアは、今日もコロッケを揚げているかもしれない。その揚げ立ての、家庭的な匂いについて考える。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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