理解できたらおしまい

  2017/08/22

子供の頃、大人の話がわからなかった。親戚など集まった時にはなおのことだった。とにかくは子供には理解できない話をしていて、実際、「大人同士の話をしているんだから、子供は子供で遊んでいなさい」とあしらわれたりもした。

それでも私は、ことあるごとにそれとなく大人の輪に加わって耳をそばだてた。しかし、いくら真剣に聞こうが幼い私に理解できるはずもなく、ただぼんやりと、きっと大人たちだけが知っている特別な何かがあるのだろうという印象だけを感じていた。それは秘密にも似て、どこか甘美だった。

大人になって理解が追いつき、対等に話もできるようになって、そして大人の話のなんたるかを知った。それは言うまでもなく、たいして面白いものでもそれほど価値のあるものでもなかった。自然、私の思い描いていた大人の秘密という宝石は、ただの石ころと堕した。

外国の人たちと話していると、そのことをよく思い出す。いま私が彼らに感じている強烈な興味と関心は、かつて大人に抱いていたあの甘美な印象と同じ類のものなのだと思う。

彼らは、私の知らないとてつもない何かを持っているのではないか。なんの根拠もなく、そう思ってしまう。しかし、根拠のない自信と同じで、それは際限なく膨張するのである。そうして私は、ひとり勝手に、彼らがたとえ無内容なことをしゃべっていたとしても、これでもかと過剰な値打ちとロマンを見出してしまうのである。

今の私にとって、彼らの言葉は千金に値する。だから全身全霊をかけて追う。しかし到底理解には及ばず、話の筋道は追う端々から散り散りに逃げ去ってゆく。せめて単語をと拾い集めて、無理やりに繋げ合わせて、だけどまともな全体像にはほど遠く、ただ漠然と素晴らしい交感を持ったという感激だけが濃厚に残る。

それはあまりにも儚く、かけがえがない。なぜなら、理解しようと努めれば努めるほど、加速度的に失われてゆくべきものだからだ。

子供にとっての大人の話と同じで、いつか私が彼らの話をすっかり理解できるようになったとき、私はきっと幻滅するだろうと思うのだ。しかも一度理解できてしまったが最後、もう二度とかつての無理解には戻れないのである。

むろん、人は杞憂だと笑うだろう。しかし、恐ろしく遅々とではあっても、確実に日々理解が増していることを思えば、その時は遅かれ早かれやって来る。そう考えると、今が一番いいのかもしれない。子供の頃の幻想こそ、至上のものであったように。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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