This is Money.

財布の中に知らない人がいる。取り出してよくよく見ても、やはり知らない。

調べてみると、それはシンガポール初代大統領のユソフ・ビン・イサークとかいう偉い人であるらしい。が、しかし私にはただのちょびヒゲのおっさんにしか見えない。

どの国のお金にも、大抵その国の偉人が描かれている。理由は様々あろうが、偽造防止や親近感、あるいは判別のしやすさが挙げられよう。たとえば「諭吉〇枚」などという表現はまさにそれで、人物と紙幣価値がイコールになっているのである。

だから諭吉が財布にたくさんいる時は、なにはなくとも豊かな気持ちにさせられる。しかし先のちょびヒゲのおっさんのことを私は知らないから、財布の中に何人いても、これといった感慨はわいてこない。

かろうじて50$や100$という物理的な数字がその価値を訴えてはくるが、それとて頭の中で1$は約80円と換算して、それに50や100をかけて、つまりユソフさんを漱石や諭吉にとっかえて初めてその価値を了解するのである。

逆に言えば、そのような操作をしなければお金はお金ではなく、ただの紙切れでしかない。そういえば、いつか父にお金とは信用なのだと教わったが、初めてそのことを肌で感じ身を持って理解できたような気がする。つまり、そのお金は〇円の価値があるとみんなが信じ合っているからこそ、物品やサービスとの交換可能なお金の価値が発生するのである。

とまれ、このことに限らず、何かを信じるということは一朝一夕にできることではない。漱石や諭吉ならば、もう何十年の長い付き合いで、それこそ手放しで信用できるけれども、しかしこのユソフ某のことを、私はまだとても信用する気にはなれない。

だってそうだろう。漱石や諭吉とは、大げさではなく、いつでも私の人生の悲喜こもごもとともにあったのだ。彼らとともに私は喜び、泣き、あるいは悩み、苦しみ、そのような中で、どうして彼らに対する愛が芽生えずにいられようか。

もちろん、ユソフさんとて決して悪い人ではないと思う。いやもっと、いい人だと思う。だけど、私とあなたとはあまりにも付き合いが短いから、一緒にいてもよそよそしいことこの上ない。ATMから出てきても、財布やポッケに納めても、お店で渡しても受け取っても、どうも紙切れをあっちにやったりこっちにやったりと、おままごとをしているようにしか感じられないのだ。

むろん、出会ったばかりでこんなことを言うのは酷だってことはよくわかってる。謝るよ。だけど、私はもう子供ではないから、価値観の凝り固まった大人だから、この先いくら時を重ねたとしても、あなたとは漱石や諭吉のような関係になれるとはとても思えないんだ。だから、願わくば、つかず離れずの大人らしい付き合いができればと思っているんだが、どうだろう。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

ご支援のお願い

もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。

Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com

Amazonほしい物リストで支援する

PayPalで支援する(手数料の関係で300円~)

     

ブログ一覧

  • ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」

    2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。

  • 英語日記ブログ「Really Diary」

    2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。

  • 音声ブログ「まだ、死んでない。」

    2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。

  • 読書記録

    2011年より開始。過去十年以上、幅広いジャンルの書籍を年間100冊以上読んでおり、読書家であることをアピールするために記録している。各記事は、自分のための備忘録程度の薄い内容。WEB関連の読書は合同会社シンタクのブログで記録中。

  関連記事

子供と若者と中年の境界線をまたいで

2012/03/23   エッセイ, 日常

もはや普通の若者になってしまった。毎日イヤホンをつけてしまっている自分。歩く時も ...

今日という今日は

2012/01/31   エッセイ, 日常

今日も料理のことでもアートのことでもない。でも今日、現代の美術家でいろんなとこで ...

脱・刹那主義

2013/06/21   エッセイ, 日常

今この瞬間ということをよく考える。二度とは戻らないこの時間を、どう使うか。 それ ...

脳のひだを指でなぞるような

2007/12/25   エッセイ

早朝4時頃に布団に入ったのだが、そこからが大変だった。寝たのか寝てないのかわから ...

結婚式の終わりと、別の人生の始まり

2014/05/18   エッセイ, 日常

テーブルの上に樋口の結婚式の招待状が転がっている。開いてみる。2014年5月17 ...

当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

Unauthorized copying and replication of the contents of this site, text and images are strictly prohibited. All Rights Reserved.

Copyright © 2012-2024 Shintaku Tomoni. All Rights Reserved.