時差という異次元
2017/08/22
東京の羽田を発ったのは19時半のことだった。北京を経由して、シンガポールへと向かう。
私にとってはほとんど二十年ぶりの海外。しかもちょっと旅行ではなく移住である。胸中には不安とも期待ともつかない、あるいは後悔にも似た感情があった。いや、正直に言えば私は怯えていた。海外に住まうということはあまりにも未知で、いっそ死出の旅のようにさえ思われた。
加えて中国の航空会社だったから、乗務員はみな中国人で早くも異国の空気が漂っていた。「ニイハオ」だけはわかるが、あとはもう単なる雑音でしかない。ふっと北朝鮮に拉致された横田めぐみさんのことが頭に浮かび、それはもうすさまじい恐怖だったろうなと妙な同情を覚えてしまう。
北京に到着するのは22時半の予定だった。しかし到着したのは丸1時間遅れの23時半で、私はこれが噂の中国クオリティかと一人苦笑した。が、これでは乗り継ぎまでの時間がほとんどない。乗り遅れる可能性さえあった。私は焦って飛行機を駆け下りた。
その辺にいたスタッフに乗り継ぎの場所を尋ね、お礼もそこそこにまた駆け出そうとする。と、彼女は壁面の時計を指し示して何事かを言う。見ると22時半を回ったばかりである。
しかし自身の腕時計は23時半のあたりで、何度か見比べてようやく時差のことに思い至った。「minus 1 hour ?」と、彼女に腕時計を見せながら問うと、当然と言わんばかりの呆れ顔でうなずくのであった。
なるほどと安堵して、しかしその1時間はいったいどこに行ったのだろうかという疑問がわいてくる。時間銀行のモモではないが、1時間という時間が盗まれてしまったような、ごまかされてしまったような、あるいは1時間ほど若返ったような。
むろん、時差とはそういうものだと言われればそれまでである。とはいえその違和感と面妖さは、はいそうですかと一口で呑み込めるようなものではないと思うのは、私の乏し過ぎる海外経験故だろうか。
シンガポールに到着して三日目になるが、未だにいちいち日本は1時間先にあって、私は1時間前にあってと考えて不思議になる。それは何キロメートルという物理的な距離よりもなお、圧倒的な実在感をもって日本との隔たりを感じさせる。
あるいは時間の単位のようでいて、しかし実際は距離の単位である光年という考え方にも通ずるような気がする。つまり、あまりにも大きな隔たりは、飛行機で何時間とか、光で何年とか、そのような感覚でしか把握できないのではないかということである。
そう考えると、時差なるものはほとんど次元を異にすることだと言っても過言ではないのであって、あちらとこちらとは、かくも遠いものかとしみじみと感じ入るのである。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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