夏のコラム、夏のエッセイ
2020/09/02
今さらながら夏についてのエッセーを書いてみた。しかも普段のわたくしの毒を90%近くカット。こんなエッセーでよければ、誰か仕事でもくれないだろうかと思う。町内会の回覧板レベルでもよい。
タイトル「夏の氷のはるかなる」
暑いですね。これを書いているのは8月31日の7時59分満員御礼の小田急線車内なのですが、きっとこれを読まれるころも暑いでしょう。もしも涼しくなってきていたら暑いという建前で読んでください。
さて、暑いと言えばアイスクリームです。いいえわたしはアイスノン、いやいやあたしゃ行水よという方は、そうしてください。自由です。
さて、世間ではガリガリ君が大人気のようです。暑いから冷たいものを食べる。暑い夏空にガリガリ君!堪えられない!という方も多いでしょう。まあ筆者は知覚過敏なので別の意味で堪えられないのですが。
それはさておき、これは現代では当たり前ですが、江戸時代、十分な断熱剤も冷蔵庫もなかった当時においては、氷は一握りの貴族たちだけが味わえるぜいたく品でした。
なぜなら冬場に作った氷を氷室というところでかろうじて保存していたのですから。これは洞窟や地面に掘った穴に茅葺(かやぶき)などの小屋を建てて覆うことで、地下水の気化熱によって外気よりも冷涼となり、涼しい山中などで夏まで氷を保存する方法です。夏でも寒いほどの鍾乳洞を想像すれば、当たらずといえども遠からずでしょう。
このようにして保存された氷は将軍家へ納められました。ある記録によると、富士の大宮の奥から江戸(直線距離にして120km程度)へ献上するのに、はじめ三尺(約1メートル)立方の大きな氷塊が、江戸城に着いたときには二寸(約6センチ)立方になっていたということですから、いかにそれが貴重だったかはちょっと尋常ではないものがあります。
しかし、視点を変えて想像してみてください。その小さな小さな氷を、普段は威張っているお殿様なんかが口に含んで目を細め悦に入っているところなんて、なんだかとても人間らしくて愛おしささえ感じられるではありませんか。
そんな時代から200年足らず、ダイヤモンドのように貴重だった氷が、いまでは113グラム(ガリガリ君1本あたり)も食べられます。それどころか10本でも100本でも食べたければ食べられます。
人間の進歩と歴史を感じるとともに、ありがたいことです。
さらにクーラーの効いた部屋でねそべって食べる、なんてこともできます。一般庶民でも簡単にできます。仏典によると、極楽とは暑さ寒さのないところとあるそうですが、まさにいま、我々が生きているのは極楽なのかもしれません。
暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものですが、本当に彼岸(あの世)に行ってしまったら暑さもなにもないのですから、この暑さもこれからくる寒さもまた一興、生きている証と喜びたいものです。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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