ぼくたちのありったけの正義
2020/08/19
戦争から万引きまで、正義の秤にかけられることがらは多い。しかし昨今では、正義は"ふりかざす"もののようだ。
思うに、正義とは、まずは秤にかけるものであって、盲目的にふりかざすものではない。正義の女神が剣と秤をもっているのはそのためだ。どんなにその罪悪が明らかに見えても、まずは秤にかける。そのうえで剣を振りかざす。つまり裁く。
疑わしきは罰せずとはよく言ったもので、真実は往々にして灰色に溶け込んでいる。その灰色の中でほんのわずかな差違で存在する白や黒を見つけるのは容易ではないし、なによりめんどうくさいことだが、それはやはり個々の人権を保証する人間界として決して省いてはならないことだ。
そんなことを思ったのは、広島16歳少女遺棄の件である。事件の解明が進む前から、ネット上にはこれが被害少女だ加害少女だという画像や、どこの学校だという信ぴょう性に疑いのある情報が溢れていた。とかいうぼくもそんな情報を純粋興味本位で集めまくったわけだが、これは、よくよく考えたら恐ろしいことではないか。
もちろん暴走する大衆の恐ろしさは、今に始まった話ではない。松本サリン事件で起こった冤罪の例を出すまでもなく、どれだけ社会が成熟しようが冤罪は常に起こり得るのである。それが不可解だったり残虐な事件であればあるほど、大衆は病的に犯人を欲するものだ。下記サイトなどを見ていると、そういった疑問を深めざるを得ない。
▼NAVERまとめ
瀬戸大平という男の画像がひどい ⇒鳥取県湯梨浜町の21歳 【広島16歳少女死体遺棄事件】
http://matome.naver.jp/odai/2137409899936766801
確かにこの男のルックスは終わっているとは思うが、これでもかという叩かれ方である。
「つか、豚の車一台で行ったのか?w
豚だけで重量オーバーになりそうだがw
被害者含めて、豚と男2人に女4人は一台じゃ無理だろw
男は単車とかか?w
どうせ、また嘘こいてやがんだろw」
いや、確かに上記コメントにはつい笑ってしまったけれども。いやいや、そういうことではなくて、これで仮に冤罪だったとしたらどうするのだろうか。すいません瀬戸くんは冤罪でした間違えましたごめんなさいでこれほど盛り上がるわけもなく、このバッシングの記録は永遠に消えることなくネット上を漂い続けるのみであろう。
上記のような情報は、「広島 16歳 遺棄」と検索をかけるだけで、つまりほんのわずかなネットリテラシー(ネットを使いこなす能力)があれば驚くほど容易に得ることができる。
インターネットでここまで情報がさらされる時点で、顔写真や実名の保護をうたっている少年法は、もはや実質崩壊しているとしかいいようがない。なんといっても今ではインターネット普及率79.1%(平成23年末)にも及ぶのである。テレビの普及率100%に比べれば20%の差があるとはいえ、もはや同等の力を持っている。いや、ネットのアーカイブ性(情報の保存能力)から言えばそれ以上の影響力を持っているだろう。
また、あまりにも単純な思考も気にかかる。つまり、「事件発生→容疑者(被告・犯人ではない)発見→袋叩き」という構図。
冤罪でなく真実だったとしても、しばしばネット上に見られるこの種の叩き方はどうなのだろう。ネットはもはや普及率からいっても公衆と言って差し支えない。もしもこういった恣意的な叩き方をテレビ上で繰り広げたとしたら、それこそ公然と駅前の広場なんかで行われたとしたら、それは正視に耐えるものだろうか。
さすがに俗物根性を通り越して、それはやり過ぎだろうという誰しも少なからずある道徳感が首をもたげてくるのではないだろうか。
もちろん、そうしたい気持ちはわかるし、その方が楽しいだろうが(うわ〜、こいつが犯人か〜、悪そうな顔しとるわ〜、なんかしそうや〜というようなゴシップ談義は人間の本能にも近い満足感をもたらす)、しかし、それでいいのか。
あるいは、その犯人が自分だとしたら、普通に説明すると十中八九自分が犯人と思われる状況だがほんとうに冤罪だったとしたら。その時には、非難する側の体質を痛いほど知っているだけに、早々に説明を放棄して絶望してしまうのではないだろうか。
この世にはありとあらゆる出来事があるが、他人の身に起こるすべては、常に自分の身にも起こりうる可能生があるということだけは絶対だろう。だからこそ、単純に信じる前に、すこしだけでも真実"らしきもの"を疑ってみることが重要なのではないだろうか。
それは、ネットの世界が今この瞬間もとんでもないスピードで善悪、清濁、真偽あらゆる情報を呑み込んで膨張し続ける中で、ますます重要なことになっていくと思われる。
正義の女神は体現している。剣なき秤は無力であり、秤なき剣は暴力でしかないと。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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