Chim↑Pomトークショー「アートでつなぐ平和」所感

  2015/07/03

一昨日の日曜日、広島県立美術館地下講堂にてChim↑Pom(チンポム)のトークショーがあった、ので、行った。「アートでつなぐ平和」というテーマで、Chim↑Pom×アーサー・ビナード(詩人)×東琢磨(音楽・文化批評家)×ゲストという構成であった。

まず、超絶出不精のわたしとしては奇跡の外出である。夕方の18時からだったとはいえ、暑さが尋常ではなかった。別にここまで汗かいて行く価値なんてないんじゃないのかとも思ったが、なんとかがんばって行った。

着いた時には18時を5分ほど回っていたが、定員200名(要予約)の会場はほぼ満席であった。わたしはなるべく目立たないだろう位置の空席を見つけて座った。

まず最初にChim↑Pomのプロフィールを紹介するビデオが流された。初期のスーパーラット(渋谷センター街でつかまえたネズミを剥製にしてピカチュウに見立ててペイントした作品)から、もはや彼らのアイコンのようにさえなっている広島の空に飛行機雲で「ピカッ」と描いた作品までを概観した。

しかしメインはあくまでも震災以降の作品がメインであった。福島の原発20km圏内に行って旗を立てる作品(エベレストや月面など、人間が到達困難な場所には決まって旗を立てるというところから)、渋谷駅に設置されている岡本太郎の明日の神話に福島原発の絵を付け加える作品、など。

けっこうリアルタイムにその作品群を知っているだけに、まったくChim↑Pomはすごいことになったよなあと、じめじめと嫉妬心を覚えた。というか、エロキテル(スポーツ新聞にエロ広告を出し、それに電話がかかってくることで発電する)や、こっくりさんタトゥー(まさしくこっくりさんで水野(Chim↑Pomメンバーの一人)の背中にリアルにタトゥーをするというもの)あたりからの変遷を考えると、相当にポリティカル(政治的)になってきてるよなあと感じ入った。

例えるなら、そこらのヤンキーが仲間集めて息巻いてるうちにほんとに政治家になって国会入りしてしまったような感じである。

それにしても、こんなクソみたいな街にも、ちゃんとChim↑Pomのことを知ってて、関心のある感性の持ち主がこんなにもいるのだと思うと、なんだかうれしくなった。

気合百連発(福島の被災地で、10人くらいの若者が円陣を組み、それぞれが「復興がんばるぞ!」とか「彼女ほしい!」とか「放射能最高!」とか好きなことを百回叫ぶ)という作品をみんなで見て、そのあとの空気とか、ちょっと最高だった。

広島の人々の99.999999…%は、Chim↑Pomの作品というか、Chim↑Pomの存在自体を、ハァ?われらのどこがアート集団なんじゃいぼけェ、頭かちわるどォ。と切り捨てるだろうけれど、しかし、ちゃんとわかっている人たちが居る。いや、わかってはいないかもしれないが、関心を持ってわざわざ足を運んで楽しめる人が居る。それはぼくにとって、とても希望の持てることだった。

全体的に大満足であったが、中でもトークショーというものがこれほど価値のあるものだということは、大きな収穫だった。今までトークショーと言えば、数年前に川崎市民ミュージアムであった淀川テクニックくらいしか行ったことがないのだが、その時は面白い人たちではあったが感じ入るというのは特に無かった。

アーサー・ビナード(詩人)という人のコメントが特に印象に残った。

「ピカドン」という言葉は、立ち位置が違う。原子爆弾や核兵器(または英語でatomic bomb、Nuclear weapon)という言葉は、それを作った側の言葉でしかない。しかしピカドンという言葉を使う時、その人は相生橋(原爆の投下目標地点)に、本川小学校(そのすぐ横)に立たされるのだ。逆に原子爆弾や核兵器という言葉を使うとき、わたしはホワイトハウスから世界を見ている。

それからもう一つ、一応広島で生まれ育ちながらまったく知らなかったこと。

平和公園に平和の火というのがありますが、あれの意味は、聖火リレーの火などとは全然違う。あれは、我々のお尻に火がついているということなんです。この世界から原爆が無くなったら消すことになっている。だから本当は、もう50年も前に消えていないとおかしい火なんです。でも一向に無くならないから、あれは広島ガスが無償提供してるんですけど、時々ガスが切れたらゴロンゴロンとガスボンベ持ってきて入れ替えて、延々と燃やしてるんです。

へえええええ、としか言いようがない。それに、ピカドンと原爆という言葉の立ち位置が違うという指摘にはつくづく恐れ入った。まったく聡明な切り口だと思う。

あらためて思うが、教養とか感性豊かな人というのはなんてすばらしいのだろうかと思う。素直にすげえええええええかっこいいいいいいいひぃぃと思う。やはりぼくは、彼のように、というかインテリになりたい。もはやインテリという単語自体死語じみているが、前時代的でもなんでもいいから、わたしはインテリになりたい。いや、インテリの芸術家に。

というか、こういうトークショーをさせたら、馬鹿はすぐにバレるよなあと思った。やはり「○○はこんなことを言っています。しかし今では…」とか「○○の視点は今でも新しい。なぜなら…」とか、引用の説得力ったら半端ではない。やはり、今のうちにこれでもかとばかりに知識を詰め込んで、インテリ風を吹かす準備をしておかねばなるまい(赤面症の克服も)。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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