似たものしか愛せない
2017/08/22
お気に入りのバーがある。当方、バーなんて柄ではないが、どう見ても居酒屋とは形容しがたい洒落た店なのでバーと呼ぶしかない。ちなみに英語ではバーは居酒屋のことなので外人にとってはどうでもいいことである。
週に4〜5回は行く。毎日と言っても過言ではない。当然、店の人とは顔なじみである。よって、新しい人が入ればすぐにわかる。
とはいえ、入れ替わりはそれほどない。あったとしても、二、三度も会えばまた新たな馴染みとなる。
最初に見知った店員はシンガポール人、その次はマレーシア人。どちらも愛想がよく自然と好感が湧いた。しかし今度来たのはインド人で、これがどうも好きになれない。
彼は黒人である。と言っても色々あるが、いかにもな黒さの黒人らしい黒人である。だからだと言ってしまえば、そうなのかもしれない。しかし、私はレイシストと言うほどの積極的な感情は持ち合わせていないし、黒人それ自体を毛嫌いしているわけでもない。では、何が私に負の印象を与えるのかと言えば、多分にその容姿であろうと思う。
そう、この黒人は器量がよくない。スタイルにしても、頭が小さいわけでも手足がすぐれて長いわけでも、あるいはスマートな身なりをしているわけでもなく、むしろ小汚い。そこのところにきて、彼の顔には幾多の吹き出ものが黒々とした複雑な隆起を形作っている。それは単なるニキビの類であろうが、漆黒の肌の上にあってそれは、私の目に何か忌まわしい病のようにさえ映る。
それで、私は少なからず嫌悪を覚える。むろん、彼に罪はない。あろうはずがない。私の偏った美的基準に適合しなかったに過ぎない。
黒人の顔形と言えば、ルワンダの「ツチ族」と「フツ族」のことを思い出さずにはいられない。かつてルワンダはベルギーの植民地だった。そこでベルギー人は、同じ言語を使って暮らしていたひとつの部族を、彼らの美的基準――鼻の大きさや肌の色など、要するにギリシャ彫刻的な美の物差し――でふたつの部族に選り分けた。
結果、ヨーロッパ人好みの顔をしたツチ族と、そうではないフツ族が生まれた。ベルギー人は税制面や教育面においてツチ族を優遇した。当然部族間に不和が生じる。これが50万とも100万とも言われる犠牲者を出したルワンダ虐殺へと繋がる。
遠い過去の話でも、他人事でもない。そう、結局のところ、私の感覚はこのベルギー人となんら変わるところがない。しかし、このような好悪は、あるいは本能に近いもののような気もする。我々は意識するしないに関わらず、自らに似たものに惹かれると同時に、異なるものを遠ざけてしまうのだ。
それは古代においては、自身だけでなく自民族を守るためにも実際的な反応であったろうと思う。しかし今日、それは差別の萌芽に他ならず、本能ではなく理性によって乗り越えられるべきものである。
そんなことは百も承知である。しかし、私の親類縁者などとはあまりにもかけ離れたその黒い肌に近づけば近づくほど、つまり彼らと言葉を交わし、手を握り、ハグをして――表面的な友好を深めるほどに、私の中に消しがたくある忌避感を認めないわけにはいかない。あるいはそれをあけすけに、また声高に叫ぶ人をレイシストと呼ぶだけで、私は私がそうでないとは、ちょっと自信がない。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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