私はネイティブジャパニーズ
2020/09/18
海外に住む日本人にとって、自分がネイティブの日本語話者であることを意識する機会はあまりない。
自分が現地のネイティブでないことを思い知ることならいくらもあるが、日本語で何か問題が解決できたようなことは皆無だからだろう。
ところで先日、カトリックの聖書勉強会で、1つの祈りのフレーズを異なる7つの言語で読むという試みがあった。
シンガポールらしく、中国語の方言である広東、福建なども異なる言語として数えていたのには笑ったが、しかし、言語の何たるかを改めて考えさせられた。
スライドで映し出された各言語でのフレーズ。ほとんどはアルファベットですらないので、読むことさえできない。とはいえこの地で40人も集まれば、自ずと多様な顔ぶれになる。
マレーシアに出自を持つ人はマレー語で、インドの人はヒンディー語で、韓国の人は朝鮮語でと、読み上げられていった。
同一のフレーズのはずが、どう考えても同じ意味内容だとは思われない。各言語にある濃厚な個性が衝突して、船酔いにも似た違和感を生じさせる。
最後に、そこで唯一の日本人である私が立たされて、日本語で読むことになった。
その行為は私に、私は日本人であることを強烈に意識させた。同時に、彼らにとって私はどうしようもなく外国人であることを際立たせた。
私が難なく読み上げたその日本語は、しかし、私が他言語について感じたように、彼らにはまったくの意味不明であったに違いない。言語は民族のアイデンティティの中核にあって、我々と彼らとを峻別する。私の周りにぐるりと壁が、あるいは谷が現れたような気がした。
そんな感覚とは裏腹に、その後、私に興味を持ったらしいシンガポーリアンに誘われて飲みにいった。それはともかく、彼の英語はあまりになまっていた。私は見当違いの返答を繰り返した。会話として成立しているかどうかも怪しかった。
にも関わらず、二時間超も飲んで、話し続けた。すると言語とは別の何かが立ち上がっていることに気がつく。それはとても懐かしい感覚だった。母語では、日本人同士ではとうの昔に失われてしまった、面倒くさくもいとおしい、何か。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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