私のうそつき
2017/08/22
その受付には見覚えのある顔があった。と言っても、彼女がそこで働いていることはとうに知っていたのだから、当然と言えば当然であった。
彼女とは今度呑みに行こうと話していて、だから今日もまた居るかもしれないという予想はあった。しかしそのやり取りは、丸一年も前のことである。今度もなにも、そもそもが嘘になってしまったと思うと、自然、決まりの悪いような気持ちにもなってくる。
ほどなく彼女も私に気がついて、だけど至極かための仕事の最中だから、挨拶のひとつも交わせるわけでもない。互いに微妙な表情の変化だけを見せて、私は待合室のソファに腰かけた。
それにしても、ほんとうに一年も経ったのかしらと、あらためて記憶を辿る。しかしそれは年に一度の健康診断で、どう考えてもやはり一年という時間が経過しているのであった。
今度呑みに行こう――もちろん、別に嘘をつこうと思ったわけではない。しかしどんな気持ちからの言葉であろうと、今、それはどうしようもなく嘘になってしまっていることを認めないわけにはいかない。
「今度」というたった一語で、わけなく一年が過ぎ去る。その事実はちょっと恐ろしくて、だけど、人生のなんたるかを如実に表しているようにも思える。だって冗談抜きで、「今度」という言葉を百回も使えば、すべての約束を反故にしてあの世にとんずらしてしまうのだ。
「今度は嘘になる」と言ったのは私の父である。子供の時分に聞かされて、以来これを忘れない。しかし私もまた時に、この忌むべき「今度」を口にする。あるいは、その頻度は年々増しているような気もする。
なにはなくとも、嘘をついたら謝らねばならない。少なくとも、埋め合わせくらいはしなければならない。だけどそれさえもまた「今度」で、今度の今度のまた今度で、いっそ「また来世」くらいの話になって、この嘘つきと言われても仕様がないのだけれど、やっぱりどうしてまた今度。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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