無題(ある人のある出来事について)

  2017/08/22

友達ではなく、知り合いに過ぎない。いや、実際に会ったことはないので、知り合いですらないかもしれない。しかし彼女のことはしばしばSNSで見かけていて、だから言うなれば一方的な知り合いである。

彼女はよくランニングについての記事を投稿していて、いかにも快活であった。それはマラソン大会にも出場するほどの熱量で、根暗な私からすれば、ただもうそれだけで及び腰になってしまうような明るい正のエネルギーに溢れていた。

ある日で、突然だった。私には何の変哲もない週明けの、月曜日の朝であった。起きがけにSNSをのぞくと、明朗活発な彼女にはひどく似つかわしくない画像が飛び込んできた。

彼女は大きく包帯を巻かれていた。涙しているわけではないが、眼はうるんでいるように見えた。それは時に目にする戦争で傷ついた子供の眼にも似て、他人がいい加減な推量で言語化することが憚られるような重い光をたたえていた。

その投稿は、しかし、ちょっとマラソン大会に出場してきましたというような筆致で、ごく簡潔に交通事故にあったのだと書かれていた。詳細は控えるが、また元のように走れるかどうかの確証もないほどだ。

繰り返すが、彼女はせいぜいが私の知り合いの知り合いぐらいの存在であって、決して友達とは呼べない。にも関わらず、外国の子供が死んで浜に打ち上げられているよりも、よほど深々と胸の奥に突き刺さるものがあった。

ここで彼女の人柄に触れることは、あるいは縁起でもないのかもしれない。しかしどう控え目に見ても彼女は人気者で、皆に愛されている。だから、コメントの量も半端ではなかった。

お大事に、早く良くなりますように、また一緒に走ろう――。それは確かに、どれもまったき思いやりから発せられた言葉に違いなかった。彼女の人柄を思えば、その周囲にも素晴らしい人格者が集まっていることだろう。しかしどうして、それらの言葉の一切が、いっそ滑稽なほど上滑りして薄っぺらいように感じられたのは私だけだろうか。

いつか新聞広告にあった、「言葉は無力だ」というフレーズを思い出す。そう、どこまでも言葉は言葉でしかないのだ。そもそも言葉の前には素の感情というものがある。それをそのまま開襟して見せられれば話は早いが、そういうわけにはいかない。だから、どうにかこうにか言葉に直す。

しかし、情報の伝達にロスや変質はつきものである。生来アナログである人間であればなおさらである。しかし普段、我々はそのことをほとんど意識しない。

たとえばお愛想のありがとうでも、心からのありがとうでも、多くはそう発することこそが重要なのであって、その本意は問題にならない。しかし、今度のような、人生にある不意打ちの重大な出来事に接した時には、その本意が厳しく問われるのである。

何を、どのように、どれくらい思っていて、あなたはそれをどう表すのか。なにげない日常においては往々にして笑ってごまかされるそれを真摯に、かつ的確に伝えなければならない。むろん、誰にとっても簡単なことではない。だからこそ、私は浅薄な間の抜けた言葉を発するくらいなら、黙して遠巻きにするほうがよほどましだと思う。

実際、沈黙は金なのだ。それならなぜおまえはこんな文章を書いたのかと言えば、私もまたお節介にも出しゃばって、沈黙して見守ることができなかったのである。彼女は私の友達でも知り合いでもないけれど、いま、私の胸の奥にも腹の底にも、どうして私は彼女がまたかつてのように元気になることを祈っているとしか書かれていないのである。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

ご支援のお願い

もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。

Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com

Amazonほしい物リストで支援する

PayPalで支援する(手数料の関係で300円~)

     

ブログ一覧

  • ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」

    2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。

  • 英語日記ブログ「Really Diary」

    2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。

  • 音声ブログ「まだ、死んでない。」

    2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。

前の記事
そこに住む理由
次の記事
私のうそつき

  関連記事

報告

2007/12/04   エッセイ

今日はデンマークの方が樋口画伯の絵を二枚お買い上げ。 作品は会期終了後郵送でデン ...

レベルたけぇ〜

2008/08/26   エッセイ

萌え~ とか ゆうて~

アメリカの散髪

年の瀬になると片付けずにはいられないのが日本人である。 それは部屋であったり金銭 ...

生きる、すなわち身の振り方

2012/04/24   エッセイ, 日常

完全にレシピとご無沙汰の最近。最悪の言い訳、時間がない、ということを言ってしまい ...

節分の沈殿および怒りの通勤カレーライス

2013/02/04   エッセイ, 日常

昨日は一日中ベッドに横たわっていた。精神衛生が腐敗していたのでくたばっていたので ...

当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

Unauthorized copying and replication of the contents of this site, text and images are strictly prohibited. All Rights Reserved.

Copyright © 2012-2024 Shintaku Tomoni. All Rights Reserved.