親を泣かせば

  2017/08/22

実家に帰れば歓迎されるのは毎度のことである。3人ある兄弟のうち他はみな女だし、地元から遠く離れて暮らしているのは私だけなのである。必定、私は貴重の人としてもてなされることになる。

今度もまた同様であった。しかし、ひとつ違うのは私がさらに遠方に、海の外の外国に出て行くことである。

それでここ一月ほどは東京の家を明け渡すための荷の整理を、否、単に実家を倉庫とばかりに雑多な家財を送りつけていたのであるが、出立の日も一月を切り、それらを片付けるべく帰省したのであった。

とはいえ何時間とかかるわけもなく、早々にいつもと変わらない、いつも通りの時間を過ごすことになる。むろん、〈変わらない〉というのは言葉のあやで、父も母も老親と呼ぶべき齢である。いくら元気そうに見えようと、その目元や手の甲に私の生まれてからの時の流れが深く重く刻まれていることに気がつかないわけにはいかない。

ふとした瞬間、ほんとうに何でもない一瞬間、それらの徴がいたく私の目にとまる。すると自然、あと何回この親と会えるだろうか、あとどれだけの時間を過ごせるだろうかと考えてしまう。だからと言って決して孝行息子になどなれない私であるから、ただひたすらにその事実を反芻するだけで、何をするわけでも、できるわけでもない。

だけどまじめな話、時が止まればいいと思う。あるいはもっと、時が巻き戻ればいいと思う。別に何かしらの後悔があるわけではない。それは願いというよりは、もっと漠とした感情に近い。たとえば、「あの頃はよかった」とつぶやいている今その瞬間こそが最良の時だったりするように。

この世で唯一変わらないのは、時間は流れるということ、それ自体である。そして三日間が過ぎる。気づけば実家の最寄り駅へと送り届けられている。車を降りて、荷物を下ろす。別れの段になり、再びここに帰ってくるのはいつだろうかと思う。見送る父と母の手を握る。父のはごつごつとして乾き、母のは筋張ってか細い。

外国って言ったって、近いから。直行便で8時間くらいだし、時差も日本と1時間しかないとこなんだから――私は言う。しかし母の眼に、かつて上京する時には無かった光を私は見た。

距離の遠近の問題ではない。時差の大小の問題でもない。勝手に出てゆく当の本人の私が、その隔たりにいまさらながらくじけそうになる。私は何か漠然と間違っているようにも思われてきて、だけどその何かは正しくもなれば誤りにもなる揺らぎ続ける何かであって、とまれ、今は意味なく流れるその涙に、いつか値打ちを与えなければと私は思う。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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