健康診断の話(後編)

  2017/08/22

コックピットのようなガラス張りの別室から、女医が出てきて言う。

「その台に立ってください」

「あ、はい」

垂直な、布団一枚分くらいの台座に、磔刑のような恰好になって、ぼくは立つ。

「それからこの棒をしっかり握って」

女医がそう、息がかかるくらいの距離で、手取り足取り指示をする。なんだかいい匂いがする。それによく見ると、妙に色っぽい。歳は少なくとも40の半ばは超えているだろうが、しかし、年齢とは無関係の色気があるのである。

「あ、はい、あ、はいぃ」ぼくはややよこしまな気持ちをもよおしながら、従順に指示に従った。素直にではない。従順に、である。

ぼくの体勢が整うと、女医は一度コックピットに引っこんで、紙コップを持って戻ってきた。

「この発泡剤をまず飲んでから、バリウムを飲み干してください」

ぼくとしては、「え、唐突すぎませんか? いやあ、はじめてなもんで心の準備が、やあ、ドキドキしちゃうなあ、えへへ」とかいう感じだったのだが、女医のお色気というか、ごく業務的な有無を言わさぬ態度に圧倒され、ぼくはえいやっ南無さんと、わけもわからず発泡剤を口に放り込んでバリウムをあおった。

生まれて初めてのバリウムは、なんとも言えない味と粘性を持っていて――あえて言わせてもらうならば精液に色味も粘度もそっくりである――、うぷっと戻しそうになりながらも、必死の思いで飲み干した。

精液に似ているせいかどうか、飲み干した直後はなんだか犯されたような、喪失感にも似た感覚が胸中にうすく、しかし大きく広がった。女医はぼくがバリウムを飲みほしたと見るや、すぐにプレイを、いや、検査を開始した。

ウィーン、ウィーンと台座が動き始める。

「はい、息を止めてー」

ぼくは息を止める。

「はい、では、身体を傾けてこちらを見てください。そうです、そのまま」

ウィー、ウィーン。ぼくはいよいよ変な気持ちになってきていた。

「はい、では、あちらへぐるりと一回転してください」

ぼくは従順に命令に従った。両手両足をじたばたさせながら、ぐるりと回った。

ウィー、ウィーン。その間、台座は終始動いていて、傾いたり回ったりと、次第に天地がどうなっているのかすら定かではなくなってくる。

「はい、では、今度はこちらへ向かってぐるりと一回転してください」

ぼくはまたじたばたともがくように回転する。しかしなんなんだこの検査は、バリウム検査とは、こんなにもハードな動きをさせられるものなのか。

世の男性の多くは、年に一度はこんなわけのわからない馬鹿馬鹿しい動きをさせられているものなのか。それに、この鞍馬にも近い体操ばりの動きなんて、老人には絶対に無理ではないか。

「はい、では、またあちらへ向かってぐるりと一回転して、と、その途中で止まってください。はい、息を止めて、はい、そうです」

それはもう、ぼくにとっての検査という概念をゆうに逸脱していた。明らかになんらかのプレイと言って差し支えなかった。

お色気たっぷりの女医に言われるがままに、解剖台にも似た台に寝かされ、というか磔られ、意のままに上下左右にぐりぐり操作され、その挙句に非常に恥ずかしい動きをするよう命令されている30がらみの独身男性のぼく。

その図を俯瞰で想像すると、なにはともあれ歳を取るというのは悲しいやら情けないやら、願わくばずっと子どもでいたかったなあ、とかなんとか、何がなにやらわからない心持ちであった。

しかし、その一方で、ぼくの頭のどこかが快感を覚えているような気もした。それはおそらく、いまのいままで、ただの一度も刺激を受けたことがない部分であろう。

とても長い時間に感じられた。ようやくで、女医は検査の終わりを告げた。おつかれさまでしたと言って、最後に、台座から降りるよう命令した。

ぼくは従順に従った。退室の間際、ちらと盗み見た女医は、どこか満足気な表情を浮かべていた。ぼくもまた、そのような顔をしていたのだろうと思う。

後記。

本日、健康診断の結果が届いた。

内容は、尿酸値と脂質代謝に異常あり。つまり、着々と痛風に近づいているので、飲酒を控えてくださいとのことであった。

まあ、納得以外の何ものでもない酒の飲み方しかしていないので、誰を呪うわけにも恨むわけにもいかない自業自得である。

それから、小学生のころより続く心電図の異常。病名「完全右脚ブロック」も健在であった。何度再検査をしても、今のところは大丈夫だと言われ続けている。今のところとはいったいなんなんだと思うが、それ以上の回答はない。

「完全!右脚!ブローーーック!!!」何かの必殺技みたいだと思う。

まあ、なんでもいいが、とりあえずは痛風を完全にブロックしておきたい。しかしながら、酒をやめられる精神状態にはない。「この子のためにも、酒はほどほどにして今日は寝るか」なんていう、平穏で、将来を建設的に志向できる生活環境が欲しいものである。

関連記事:健康診断の話(前編)

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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