わたしの死
2015/07/03
昨日の健康診断の結果の件。なんだかんだ、思うところが多い。
異常があったことによるショックというよりも、ああ、ぼくもしっかり生身の人間、つまり、死にゆく存在なんだということを再認識させられたからだ。
おそらく誰しも、自分だけは死なないような気がしている。いくら生物は生じれば滅するのがこの世の道理だとはいっても、あるいは、身近な人間が何人死んで燃されていくのを見ようとも、そういう理解を超えたところで、どこかしら自己の生命というか存在の永遠を信じている。
いや、それは信じるというような、具体的なものではない。もっと、曖昧模糊とした、たとえば、眠るときに、明日、自分が目覚めることを疑わないような、そういう、とても漠然とした感覚である。
そういうあれこれを、ひとつひとつ思ってみると、わたしはいま、尿酸値が高く、その末には通風が発症し、足指の痛みに悩まされ、尿酸値を下げる薬を飲み続けることになり、それでも結石が出来たりして激痛で悶絶し救急搬送される日が来る、とかいう普通の成り行きももちろん考えて案じたりしてみるが、なにはともあれ、なにをどうしようと、わたしの肉体は劣化し、消滅してゆくんだよなあと、しみじみと思う。
最近、たまたま何度も放送大学で同じフレーズを聞いた。
「人間は、産声を上げる十月も前の受精した瞬間から、死に向かっている……」
ああそうだ。生命の発生、わたしの誕生とは、産声を上げる十月も前からなんだよなあと、これまたしみじみと思う。
それから、死を思うことは生きることだということも、なぜだか、最近よく読み聞きするフレーズである。
メメント・モリ。つまり、死を思え。
放送大学の心理学の授業では、しょっちゅうキューブラー・ロスの話がでてくる。むろん、別に放送大学に限ったことではなく、死の受容の過程を研究し、多大な業績を残した揺るぎ無い大家であるからこそではあるだろう。
ロスの発表した、死の受容に至る以下の過程はあまりにも有名である。
・否認
自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
・怒り
なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
・取引
なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
・抑うつ
なにもできなくなる段階である。
・受容
最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。
(wikipediaより転載)
しかし、このような実に明快なロジックを導き出したロス自身でさえも、自分の死をうまく受容することはできなかった。上記にあるとおりの段階を経て、いや、むしろ、そんなことはわかりきっているからこそ余計に取り乱し、自己の死を嘆き、わめき、ほとんど狂人のようになって、ロスの論文に惹かれて集まった人たちも、その醜悪な末期には、ひとり、またひとりと離れていったということである。
死。この逃れることのできない人間の宿命に、興味は尽きない。
今日、というかさっき、放送大学で聞いた詩がある。すこしばかり酔っていたせいか、なんだか、涙が出た。
【しぬまえにおじいさんのいったこと】
わたしは かじりかけのりんごをのこして
しんでゆく
いいのこすことは なにもない
よいことは つづくだろうし
わるいことは なくならぬだろうから
わたしには くちずさむうたがあったから
さびかかった かなづちもあったから
いうことなしだ
わたしの いちばんすきなひとに
つたえておくれ
わたしは むかしあなたをすきになって
いまも すきだと
あのよで つむことのできる
いちばんきれいな はなを
あなたに ささげると
谷川俊太郎『みんなやわらかい』より
こう、活字で読み返すと、ケッ、馬鹿馬鹿しいセンチメンタルが、という感じもある。
でも、生まれて、そして死ぬこと。その当然の、自然の道理が、どうか、すこしでも美しくあってほしい。なんていうことを思う、感傷的な宵の口である。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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