そこに住む理由
シンガポールに行くことを話すと、「なんでシンガポール?」と聞かれる。いや別に、特にこれといった理由はないんですけどと言うと、どうも腑に落ちないような顔をされる。
私は「じゃあ逆に」、と切り返す。ここで生活する理由ってなんですかと。すると言いよどむので、誰もこの東京で生活することに、そこまでこだわる理由なんかないんじゃないですかと続ける。
そう言うと賛意を示すのは大概ひとり身で、一方の妻帯者は呆れとも羨望ともつかない微妙な表情で笑って言う。「家買ってるからさ」とか、「子供いるからさ」と。
人はその土地への愛着よりも、大事だと考える何かしらによってそこに住み着く。それはちょうど船のいかりのようなもので、大事であればあるほど、深々と食い込んでとどまって流れない。そう考えると私には大事なものがないのかもしれない。少なくともこの東京にはない。
では私の大事なものはどこにあるのか。一般的に親兄弟は大事なものとされているが、そこまで大事かどうかと考えると疑問符がつく。たとえば自分の命より大事かと言われれば、はっきり自分の命のほうが大事である。
あるいは馬鹿げた例えだが、親は末期ガンで、私が今後一生酒を断てば完治するとしよう。大抵の人は一も二もなくやめるだろうが、私は親に死んでもらおうと思う。
とはいえ、私にとっての親が決してどうでもいい存在だというわけではない。ただ、私の人生におけるすべての行為やそれに伴う喜怒哀楽の一切が、私にとって無上のものであるからという単純な比較結果に過ぎない。まあ、虚飾なく平たく言えば自分よりも大事なものは何もないという非常なエゴイズムである。
たまに考える。いつか自分よりも大事なものができたとしたら、私は別人になるだろうと。私の中の価値基準が転覆するのだから、人が変わらないわけがない。
しかし、果たしてそんなものができるだろうか。ありていな可能性としては親になることであろう。親というものは我が子を目に入れても痛くないと言い、またその子の為なら金銭はもちろん命さえも惜しまないものらしいから。
わからなくはないが、だからと言って私はそうはなれないだろう。実際に親になればその気持ちがわかるよという人もあるが、そんな単純な話があるものかと思う。ある程度生きれば、何をしてもどこへ行っても、ほとんど想像通りではないか。〈想像を超える〉ことなどまずない。そうして感動も驚きも歳を経るごとに顕著に減じる。しかしそれが年の功というものであり、人間の知恵でもある。
たとえば、こう言うと気を悪くするだろうなと思って口を慎む。老人のほうが立っているのがしんどいだろうからと慮って席を譲る。人並みの神経があれば、歳を重ねるほどに自然とそのような〈想像〉がうまくなる。
同じように、もはや子供を持ったときの気持ちも想像がつくのである。実際に子供を持ってみなければ親の気持ちはわからないなどというのは、どうかすると人を殺さなければ殺人者の気持ちはわからないという理屈にも通ずる愚かさがあると言ったら言い過ぎだろうか。
とにかくは、もう、いろいろ、何もかも想像がつくのである。あれもこれも想像がついて、わかってしまって、ああすればこうなることばかりでうんざりするのである。だから私は、できる限り想像のつかなそうな選択肢として海外に暮らすことを選んだのである。
ただ、それは三十路も半ばに差し掛かり、日毎に老いて人生が収縮していくことに対する私のささやかな抵抗、悪あがきでもあって、そうであればこそ――いくら期待を膨らませても結局は想像をなぞりに行くことに過ぎないのだから――渡航の日が近づくほどになんとも言えないやるせなさが募ってくるのは必然かと諦めている。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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