美術家 新宅睦仁のブログ。ほぼエッセイ、ときどき現代の美術とアート。

「LIFE feat マクドナルドビッグマック」のコンセプト

    2017/08/22

【20120503改変版追記:吉野家牛丼:ワンダーウォール出品用作品コンセプト】

ファーストフードという料理は、「生死」「貧富」「戦争と平和」の象徴である。

まず、料理は豊かさの証左である。 たとえば飢え死にをするかというときに、豚肉とキャベツと小麦粉があったとして、それらでギョーザなどを作ろうとするだろうか。

さらに、"無意識に"料理を食べられることは、安穏と生きられていて、豊かで、平和であることの証左である。銃を突き付けられ生命を脅かされているとき、戦火に追われ着るものも食べるものも住むところもないときに、無意識に料理を食べることができるだろうか。

ファーストフードという料理は、飢えとはほど遠いやさしい空腹の胃袋に落ちていく。早くて安くて旨いというコンセプトで、サッと出てきて、チャチャッと食べる。 惰性的に、作業的に、あるいは単なる熱量、カロリーとして食べる。 無意識にファーストフードを食べられるということは、死なず、貧せず、戦争もなく、つまり安穏と生きられていて、豊かで、平和であることに他ならないのである。

それが日本のいまであり、また世界はモーレツな勢いで日本のような生活レベルを目指し、そして追い抜こうとしている。ぼくは、まだ見ぬその先に、なにか得体の知れない不安を感じざるを得ないのである。

以上のようなことがらを、日本の代表的なファーストフードである牛丼を用い、大衆の胃袋に無秩序に落ちてゆくイメージとして、滝のように落下させている画面構成で表現した。

【改変前テキスト】
ファーストフードという料理は、「生死」「貧富」「戦争と平和」の象徴である。

まず、料理は豊かさの証左である。 たとえば飢え死にをするかというときに、豚肉とキャベツと小麦粉があったとして、それらで餃子を作るだろうか。
さらに、"無意識に"料理を食べられることは、安穏と生きられていて、富んでいて、戦乱ではないことの証左である。銃を突き付けられ生死の境にいるとき、戦火に追われ着るものも食べるものも住むところもないときに、無意識に料理を食べることができるだろうか。

ファーストフードという料理は、飢えとはほど遠いやさしい空腹の胃袋に落ちていく。早くて安くて旨いというコンセプトで、サッと出てきて、チャチャッと食べる。 惰性的に、作業的に食べる。 無意識にファーストフードを食べられることは、死なず、貧せず、戦争もなく、つまり安穏と生きられていて、豊かで、平和であることなのである。

それが日本のいまであり、世界はモーレツな勢いで日本のような生活レベルを目指し、そして追い抜こうとしている。

まだ見ぬその先に、なにか得体の知れない不安を感じるのは、ぼくの杞憂に過ぎないのだろうか。

以上。というか、これは吉野屋牛丼のやつとおなじなので、再考ですね、コンセプトの。やっとけっこうしっくりきたかな。さらにブラッシュアップに励む。
というか、早生まれのおかげで群馬青年ビエンナーレにまだ応募できそうなので、しとこうかな……。
◎◎◎

新宅 睦仁

1982広島県生/2005九州産業大学卒/2013新宿調理師専門学校卒/現代美術家/シンガポール在住のカトリック。牛丼やカップヌードル、コンビニ弁当等、食物をテーマに作品を制作している。無類の居酒屋好き。★最近の読書メモ

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