「LIFE feat 7,797kcal(吉野家:牛丼並盛×11+けんちん汁×1+玉子×3+生野菜サラダ×2) on オノマトペ」について

  2015/07/03

まったく突如として出てきたオノマトペだが、描きながら考えに考えた末に出てきたモチーフである。

「on オノマトペ」か「with オノマトペ」かと考えたが、あくまでもこれは自分で自分の作品を揶揄するような軽さで取ってつけたように扱っているので、単にのっけただけですというニュアンスで「on」とした。

今回の展開は、現代アートに関する本を読みあさるうちに、そもそもこの作品のコンセプト(下記またはhttp://www.tomonishintaku.com/about/参照)が、どうも嘘くさく感じられてきたということがある。

▼LIFE(吉野家牛丼)シリーズのコンセプト

「ファーストフードという料理は、「生死」「貧富」「戦争と平和」の象徴である。

まず、料理は豊かさの証左である。 たとえば飢え死にをするかというときに、豚肉とキャベツと小麦粉があったとして、それらでギョーザなどを作ろうとするだろうか。

さらに、"無意識に"料理を食べられることは、安穏と生きられていて、豊かで、平和であることの証左である。たとえば、銃を突き付けられ生命を脅かされているとき、戦火に追われ着るものも食べるものも住むところもないときに、無意識に料理を食べることができるだろうか。

ファーストフードという料理は、飢えとはほど遠いやさしい空腹の胃袋に落ちていく。早くて安くて旨いというコンセプトで、サッと出てきて、チャチャッと食べる。 惰性的に、作業的に、あるいは単なる熱量、カロリーとして食べる。 無意識にファーストフードを食べられるということは、死なず、貧せず、戦争もなく、つまり安穏と生きられていて、豊かで、平和であることに他ならないのである。

それが日本のいまであり、また世界はモーレツな勢いで日本のような生活レベルを目指し、そして追い抜こうとしている。ぼくは、まだ見ぬその先に、なにか漠然とした疑問と不安を感じざるを得ないのである。

以上のようなことがらを、日本の代表的なファーストフードである牛丼に象徴させて、大衆の胃袋に無秩序に際限なく落ちていくイメージを、牛丼を落下させ"牛丼の滝"のような構成にすることで表現している。」

なんか、どこまでも正論という気がする。誰だってそう言われりゃ、まあ確かにねとは思うだろうが、それ以上にはならない。正論って、往々にしてつまらない気がする。そしてこの世界は正論で語り尽くせるものではない。特に現代はすべての価値感が転倒している時代であって、正論でみんなを納得させることは不可能になっている。

だからこのコンセプトは、正論すぎて退屈なのだ。納得はできてもその先がない。そしてなにより画面そのものに、至極まじめな正論を繰り出す退屈さがにじみ出ている気がする。

また、このコンセプトはわたしという個人のひとつの考え方に過ぎない。しかし現実はもっと多様で、複雑である。もちろんひとつの考えを呈示することは、その他の考えもあるということを必然的に示すことになるのだが、それにしても、広がりがなさすぎるような気がする。

そういうもろもろを打破し、使用素材も含めて改めて検証し、いったい何をどう表現したいのか、どう見られたいのか、どう感じさせたいのか、そしてどのようにすればもっと効果的なビジョンを作り出せるかということを考えた、その一応の答えがこれである。

ごくアカデミックな凡庸な線描(ハッチング)で描かれた牛丼。それは誰が見ても「いかにも絵画という感じ」を与える。それを安物のマッキーの油性ペンで縁取る。アウトラインはアカデミックなデッサンにおいてはタブーであり、しかもそれはおよそ画材とは呼ばれない油性ペンで縁取ることで、深刻なコンセプトをごく俗なものへとひきずり下ろす。

そもそもこのモチーフ、牛丼が落下しているということ自体、ふつうではない。異常である。異常であるということは、狂人の例を出すまでもなく、他の人々にとっては捉えきれない、扱いに困るもの、持て余してしまうものである。そういう本来の性質を、油性ペンで縁取ることによって、取り扱い可能な、認識の容易な事物へと変容させる。

加えて、キッチュなオノマトペをこれまた安っぽい油性ペンで取ってつける。

文字と意味は切り離すことができない。ドオオオオンと描けば、それはドオオオオンと思え、少なくとも作者はドオオオオンという印象を感じるようにと思って挿入しているのである。しかし安っぽいつやの油性ペンで描かれたオノマトペは、ほとんど説得力を持たない。誰もほんとうにドオオオオンとなって圧倒されるものはいない。むしろ周囲のまじめな素描の牛丼との対比で、間の抜けたばかばかしささえ感じられる。

だからこれは、今回はたまたまマンガ的なオノマトペを用いただけであって、このシリーズに通底している深刻さを揶揄する効果を与えられればなんでもいいのだ。まじめな演説の際に「ヨッ!大統領!」というような横槍と言ってもいいかもしれない。

深刻であると同時にばかばかしい。ばかばかしいと同時に深刻である。たとえばお葬式で、不意に笑いがこみ上げてくることもある。そういう重層的で複雑な、とらえがたい現実。

確かに、世界には飢えている人がいる。しかしその反面で、たいしてお腹がすいていないのにメシを掻き込み、そのうえ「食うんじゃなかった」と言う人もいる。

どっちが正しいということではなく、ただ単にその両方が現実なのだ。

説明し尽くせてはいないが(そもそもそんなことは不可能だが)、とかいうようなことを思って描いた。今回のは、オノマトペというかマンガ的効果をぶつけることで生じる効果を試す実験的な試みだったのだが、とりあえず自分ではこの次の展開を確信した。次の作品はすごいことになる、ということで、ひさしぶりに自分の作品に興奮しながらさっそく次作に取り組んでいる。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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