日本人のマスク
最終更新: 2025/04/13
2025年現在、いまだに日本人はマスクをつけている。
少なくとも、そこらを5分も歩けば必ず一人は見つかる。
海外ではもはやそんな人間はいない。
ベトナムあたりなら、大気汚染という別の問題で多くの人がつけているが、それでも屋内でつける人は皆無である。
コロナ禍は終わったはずだ。しかし、インフルエンザ、花粉症、風邪、あるいはその予防、はたまたスッピン隠しなどと称して、いまだにつけている。
とにかくはもう、日本人にとって、マスクは習慣どころか文化になってしまったのだと思う。
そう思う根拠は三つある。
第一に、「鼻出し」や「あごマスク」の人が珍しくないことを考えればわかる。マスクは効用よりも、いっそシンボルになっているのだ。
つまり、「私は他人に配慮してマスクをつける社会的な人間で人畜無害で安全です」というメッセージを発しているのである。
マスクを着用すること自体が、社会的にプラスの印象を与えるためのインセンティブとして機能している。ゆえに、飲食店など、人との接触が多い職業を中心に、マスク着用が継続されているのも当然だろう。
第二に、マスクを着用し顔の一部を隠すことで、ある種の匿名性を得られる点が挙げられる。
たとえば、日本のX(旧Twitter)の利用者数は約6,700万人と、世界第2位を誇り、人口比では55%に達する。
特筆すべきは、そのうち約75%が匿名で利用しており、これはアメリカの約36%やイギリスの約31%と比べても際立っている。これは、日本人が匿名性を好む傾向がある証左と言えよう。
また、マスクは日本における過剰なルッキズム(外見至上主義)から身を守る手段でもある。
「マスク美人」などという言葉は象徴的だ(海外にこのような失礼な表現は存在しない)。これは逆に言えば、マスクをつけていなければ、「ブス」や「ブサイク」といった不用意な他人の評価や視線にさらされることを意味する。マスクは、自分を守る心の壁となり、安心感をもたらすのだ。
ある調査によれば、特に若年層では「マスクを外すのが怖い」と感じる人が多く、マスクが精神的なバリアとして定着していることが示唆されている。
第三に、日本人特有の「日和見主義」が挙げられる。周囲にマスクを着用する人がいる以上、「とりあえず自分もつけておこう」という人々が相当数存在するのは想像に難くない。
これら三つの要素が複雑に絡み合い、互いに増幅しながら、マスクはいつのまにか生活必需品になってしまった。
味噌や醤油と同じである。日常生活に根付き、なんの疑問もなく、ただそういうものとして、淡々と続いてゆく。それが「文化」である。
文化は世代を超える。完全に文化になってしまった以上、日本人がマスクを外す日は永遠に来ない。

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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