清く、尊く、穢れなき、たぶんそういう会

最終更新: 2025/04/11

土曜日の夕方、たまに行くカフェで本を読んでいると、店長の女性に話しかけられた。

今日、なにやら歌を唄う会があるという。きっとあなたにぴったりだと言うが、どこをどう見ればひとり湿っぽく読書しているおっさんと歌が結びつくのかわからない。

オランダの歌かと尋ねると、英語というか、ラララー、というか、とにかくは歌よ、という。

よくわからないし、めんどくさい。が、案外いい経験になるかもしれないと思い直し、参加することにした。

会場はカフェの奥にある多目的のスペースで、たまにヨガなどをやっている。

4人ほどの男女の奏者が前に座り、それをぐるりと囲んで老若男女20人ほどが集まっていた。

歌詞の書かれた紙が配られる。調べてみると、インド発祥のバクティヨガ(神への献身を重視する、古典ヨガの主要な流派のひとつ)で、神の名や聖なる言葉を唱え、瞑想状態や、スピリチュアルな体験をするものらしい。

「以前参加したことのある方はいますか?」

奏者のひとりの女性が、オランダ語でそう言った、気がする。たぶん。3、4人が手を挙げる。

難しく考える必要はありません、私の演奏に合わせて歌ってもらえればと言った、と思われる。これまた、たぶん。

そこではたと見慣れない東洋人の私に気がついたらしく、英語で「オランダ語がわからない方はいますか?」と聞く。手を挙げたのは私ひとりであった。

以降、英語で進行してくれるのかと思いきや、やはりオランダ語で進行する。

演奏が始まる。女性の奏者が床に座り、片足を立て、小さなアンティークっぽいアコーディオンを弾く。素朴でノスタルジックな音が空間の雰囲気を方向づける。

続いて、男性の奏者がギターを、残りの二人が笛を吹き、鈴を鳴らす。そしておもむろに歌い出す。

参加者が、奏者の歌声を追いかける。私も形ばかりに声を出してみるが、完全にテキトーである。いや、他の参加者とて同じだろう。

なにはともあれ、みな、どことなく心地よさそうな顔つきになっていく。俗世間を離れて浄化されているような、そんな穢れなき自分に陶酔しているような。

そうして、二曲、三曲と続く。曲の合間に、にっこり笑って、「さっきの曲はバクティヨガの定番ですね」などと説明する。オランダ語なので、あくまで推測だが。

だんだんと場の空気がほぐれてくる。私も私で、この会の趣旨を理解して、気持ちを込めて唄うよう努めた。

確かに、心が穏やかになるのを感じる。それに、なんとはない高揚感。おそらくそれは、人間のDNAに刻まれた、「みんなで集まって歌を唄う」という原始の喜びであろう。

目を輝かせて、奏者が言う。「精神を解放して、感じるままに振る舞って。ダンスしてもいいし、寝転んでもいいわ。」これは英語で言ってくれたので理解した。

隣のカップルは素直に寝転び、向かいの男性は足を崩す。みな、まったりとして、80年代のヒッピーを彷彿とさせる光景になる。

ギターをひく男性が、それを見ていかにも満足げに微笑む。

まあ、気持ちいいと言えば、言えなくもない。いわゆる心が洗われるとは、こういうことなのかもしれない。

しかし、心とは洗えるものだろうか。たった一度でも、荒み、穢れた心というものは、二度と元通りにならないのではないだろうか。

何かの本で読んだ、穢れの本質の話を思い出す。

コップに尿を注ぎ、それを徹底的に洗う。どんな精緻な科学的装置でも一切の尿成分が検出できなくなるまで洗う。それでもそのコップで水を飲む時に感じる抵抗感。それが穢れというものなのだと。

そう、私はしっかりうす汚れて、なんなら邪悪になってしまったとさえ思う。しかし人間が生きるとは、そもそもそういうことではないか。

にも関わらず、ここに集う人々は、とてつもなく清く、人生に一点の曇りもないかのような雰囲気だ。

ひとことで言えば、嘘くさいのである。人間、そんな綺麗なもんじゃないだろう、もっとずっと俗悪で、醜悪な存在だろうと。

むろん、否定する必要などまったくない。平和で友好的な会の悪いことのあろうはずがない。

しかし、この空間に生じているであろう何かしら気持ち悪いほどのプラスのエネルギーが――誰も大人にならない子供の世界で自分だけが大人になってしまったような――、私に居心地の悪さを与えるのであった。

小休止となり、2、3の人がトイレや飲み物をとりに外に出たのを見て、私も続いた。

もう帰ろうとジャケットをはおっていると、先の店長に声をかけられる。

「終わったの?」

「いや、もうそろそろ行かなきゃ。ありがとう、楽しかったよ」

その足で、道路をはさんで斜向かいにあるバーに逃げ込むように入る。

まだ18時を回ったばかりだというのに、顔の紅潮した常連客が話しかけてくる。

「よお、日本人、調子はどうだ」

歌を唄う会に参加してきたというと、面妖な顔をして「歌? こういうやつか?」と言って、オペラばりに腹に手を当てでたらめに歌い出す。

が、突然大声を出したせいか、むせて、盛大につばきが飛んでくる。

ああ、こういうどうしようもない感じと、私は嬉しくなる。なんなら愛おしくなる。

汚い、けれど、汚くない。むしろ、たぶん、清い。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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