国際理解の前に

  2017/08/22

その一室に集まったのは、シンガポール人、中国人、香港人、そして私、日本人からなる計5名であった。

などといかにも大仰に書き出してみたが、なんのことはない。友人のシンガポール人の提案で、手巻き寿司パーティを開くことになっただけである。

実際、手巻き寿司についても至ってふつうで、日本のそれと特に変わるところはない。ただ、発案者と私を除けば、手巻き寿司を作るのは初めてのことらしく、その食べ方は幼児にも似たあどけなさがあった。

ところで、最初こそ皆もっぱら英語をしゃべっていたが、ふと気がつけば中国語になっていた。と言うと、いくらなんでもそのくらいわかるだろうと思われる向きもあろうが、まじめな話、中国語なまりの英語と中国語そのものとは、ほとんど同じに聞こえるのである。

そうして英語さえもままならない私に中国語がわかろうはずもなく、理解を諦め雰囲気だけを読み取っていると、今度はまたいつの間にか英語に戻っていたりする。というような繰り返しの中で不意に爆笑が起こる。私も一応は笑っておくが、むろん何がおかしかったのかは知らない。しかし要所要所で日本語の堪能なシンガポール人が翻訳を挟んでくれる。

私は「なるほどね」と、遅ればせながら改めて笑い、それにシンガポール人が中国語で何事かを伝達し、中国人が英語で応じ、香港人が中国語で切り返し、シンガポール人が英語でまとめ、笑いが起こり、シンガポール人が日本語で説明し、私は納得して笑い、それを見てまた皆が笑う。

このようなやりとりが2時間超、弁舌尽きることなく繰り広げられて、私は、ここに日本人の持つ英語観の敗北を見たような気がした。

私を含め、多くの日本人はこう思っている。英語さえできれば世界中の人々と話せるようになり、豊かな国際交流が実現し、世界で活躍できる人材になれるのだと。

しかし、言うまでもなく言語は星の数ほどある。そして言語の数だけコミュニケーションの形があり、文化がある。そこで英語は、ひとつの有用なツールではあっても、唯一万能のツールではないのである。

そのことに実感として気がつくと、私の脳裏にひとつの図が浮かんだ。小学校の道徳の教科書なんかに載っていた、世界中の国々の、色々な人種の子供が手をつないで地球をぐるっと一周、輪になっているあれである。

たぶん、今の今まで、私はそれを漠然と信じていたのだと思う。あの図では、決まって皆が皆、にこにこ楽しげに笑っている。しかし、現実にあのような場を設けるとすれば、それはもう想像を絶するカオスに違いないのだ。我慢や譲歩を知らない子供であればなおのことであろう。

ある子は箸で食べ、ある子は手で食べろと水を差し、そうかと思えばスプーンとフォークを使えと言う。ある子は豚を喜んで食べ、一方では嘔吐するほどの拒絶を示し、生卵を食すのは異常だと蔑むのがあれば、カメムシのような臭いの葉っぱをいい匂いだと言って勧めてくる。――言うまでもなく言語はばらばらで、それぞれがそれぞれの母国語でかんかんがくがくの主張をしてとめどない。

そう、十中八九、円満には終わらない。むしろ揉めに揉めて手が出る方が自然であろう。そう考えてみると、いわゆる国際理解とは、語学力よりもなお、人間そのものが問われるものなのではないだろうか。

と言っても、理解しようという気持ちさえあれば云々というようなおざなりな話ではない。むしろ、いくら語学を磨き文化を学んだとしても、絶対に超えられない壁というものがあって、それはたぶん、親であれば子供のことを理解できるはずだ、理解すべきであると思い込んで懊悩するのと一緒で、肝心なのは頃合いを見計らってサジを投げること、その度胸である。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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