奉賀!奉賀!奉賀!

  2017/08/22

3、2、1とカウントされて花火が打ち上がる。歓声が上がる。種々の国の人々がハイタッチをし、ハグをする。

みな「Happy New Year」と口々に言って、熱っぽい。そこで私は、ひとり取り残されたようだった。顔を上げると、シンガポールで有名なマリーナベイサンズが見える。その傍らで、忙しげに花火がひらいてはとじる。

と、思いがけず香港人のシェアメイトにハグをされて我に返る。彼女はいかにも外国の人らしく、概してテンションが高いが、殊更だった。「Happy New Year」――彼女もまたそのように口にして、私はオウム返しにこたえて笑ってみせた。

日本では1時間も前に、すでに「Happy New Year」と言って馬鹿騒いでいることを思うと、ただただ面妖に思われた。地球が回り、太陽が回り、そうして世界各地で年が暮れ、年が明ける。地球上の時差は最大24時間。つまり、24時間かけて「Happy New Year」が伝播してゆく。ドミノ倒しにも似たその様が、鮮明な映像として脳内で再生されると、いっそ馬鹿馬鹿しささえ感じられる。

ある人は、年をまたぐ瞬間にジャンプをしてみたりして、年越しの瞬間は地球にいなかったなどとのたまう。またある人は、グラスを片手に身構えて、年を越して開口一番、すでに出来上がった赤ら顔で今年初めての酒だと笑う。

とにかくは人々にとって、その瞬間はかくも特別なのである。しかしちょっと時差のことを考えてみれば、その瞬間は実に曖昧で、もっと言えばいい加減極まりないということがわかる。

どこの国でも年越しは最大の行事であり、カウントダウン関連のイベントは星の数ほどある。しかし戯れに、その手の告知にたった一言、(日本時間)や(アメリカ時間)などと書き入れてみてほしい。たちまち興ざめすること請け合いであろう。

年越しの瞬間を特別だと考えるのは、それを絶対的な基準だと信じているからである。たとえば、どこぞの人が独自に年越しの日時を設定して触れ回ってみたところで、およそ一顧だにされるものではない。むろん、誰もその基準を信じられないからである。

そもそもこの二千何年という区切りにしたところで、キリストの生誕を起点としているに過ぎない。諸説あるが、キリストの生誕は夜中だと言われている。東方の三賢者と呼ばれる聖人たちが、夜空にベツレヘムの星を見て、キリストの誕生を知ったのである。

絵になる情景ではあるが、しかしエルサレムが21時だとすれば、ニューヨークではまだ昼下がりの15時で雰囲気も何もあったものではない。逆に日本であれば早朝の4時で、起きているのは漁師か農家くらいのものであろう。

言うまでもなくキリストは一神教で、唯一絶対である。そのことを伝える旧約・新約聖書は人類にとって最重要の物語のはずだが、こちらの国ではまだ星が出ておらず、あちらの国では太陽が沈んでいるというのでは、そもそもの話の成立さえ怪しくなってくる。

そのように考えを巡らせてみると、我々はなんと適当な枠組みを信じて、あるいは縛られて生きているのだろうかと、ほとほと呆れてしまうのである。

その馬鹿馬鹿しさは、私に「万歳」という言葉の逸話を想起させる。かつて「万歳」より前に、「奉賀(ほうが)」という言葉が提案されていた。しかし、「奉賀」と連呼すると「阿呆が」と聞こえてしまうから取りやめたというのである。まったく我々は、悲しいかな、今も昔も取るに足らない阿呆なのである。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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