生きたかったり、死にたかったりする。

  2020/07/06

生まれたら、死ぬだけ。

それ以上でも以下でもない。いやいや、人間の一生はもっと尊くて、それ以上だって言う人は多い。だけど生まれたら死ぬだけにしては人生は長すぎるってだけのことで、やっぱり、それ以上でも以下でもない。

ぼくだって人間の機微を知らないわけじゃないから、こんな身も蓋もないことは言いたくない。でも、どう考えても、人間の一生は、生まれたら、死ぬだけ。

そんなこと、わざわざ言わなくたってみんな知ってる。にも関わらず、人間は簡単に死にたくなったり、あるいは生きたくなったりする。

ああ、もう死にたいなあと思っている人たちは、今この瞬間も無数にいる。逆に今、もっともっと、なんなら永遠に生きていられたらなあって思う人も、同じくらいたくさんいる。

両者の何が違うのかと考えると、たぶん、お金だったり恋人だったり、家族や友人、地位や名誉だったりする。そういう、人を喜ばせたり落ち込ませたりするものが、あったり無かったりする。まあ、だいたいは、あったものが無くなった時に人は死にたくなって、無かったものがあるようになると、人は生きていたくなる。

よくよく考えたら、それってすごくおかしい。少なくともこれを読んでいる人は、あとはもう何やったって死ぬだけなのに、得たり失ったりすることで右往左往しながら生きている。あの世には紙切れ一枚持っていけないのに。

究極、ハッピーエンドもバッドエンドもない。とにかくは終わりが決まっている。べつに野球に興味はないけど、あえて野球に例える。いくら手に汗握るドラマがあっても、最初から巨人が勝つことが決まっている。そんな試合を誰が見たいと思うだろう。でも、人生ってそういうこと。すでに終わりだけは決まっている。

やらせかよ。八百長かよ。金返せ。文句の一つも言いたくなる。そういう夜がたまにあって、眠れなくて、だから言う。ふざけんなよ。それは強いて言えば神様に対してだけど、おい、ちゃんと聞いてんのかよ。おかしいだろ。何へらへら笑ってんだよ。貴様、ふざけんな、殺すぞ。

って言っても、どうせ死ぬからどうでもいいと言えばいいんだけど、生きてるうちにやることはやって、言いたいことは言っておかなければならない。てめえ、絶対ぶっ殺す。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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