怒りについて
2020/07/19
怒らなくなって久しい。
昔はいろいろあって、しょっちゅう、死ぬほど怒っていた。そのツケで、そろそろハゲるのではないかと怯えている。いや、真面目な話。
それはともかく、久々に怒っている。理由は書かない。怒る理由なんか人それぞれだし、それが些末なことであるか、怒るべきことであるかのモノサシは人によって違う。そもそも怒りに安っぽいも高尚もない。怒りはすべて、つまらないものだ。
だから私の怒りをわかってほしいとも思わないし、わかってもらう必要もない。むしろわからなくていい。問題は自分の中に怒りがわき起こってしまった、そのこと自体である。
お釈迦様でもない我々は、ついうっかりしていると怒ってしまう。むろん、大人になれば露骨に顔や態度に出すことは滅多にないが、実はけっこう、はらわたが煮えくり返って焼死しそうだったりする。
イライラする。何考えてんだ。ムカつく。常識がない。頭がおかしい。――そんな感情が、心臓だか肺だか腸だか、とにかくは腹の中をぐるぐると駆け巡る。それは光よりも速いので、激しく摩擦し、熱くなる。擦り切れ、裂けて、バラバラになる。
気が済まないと、人は言う。では、仮にその誰かが土下座でもしてくれたらスッとするだろうか。それなりの金品をもらえば晴れやかになるだろうか。はたまた笑えるか、どうか。
怒ったことがある人ならわかるだろう。人は一度怒ると、また笑うためには時間を要する。少なくとも一時間かそこらは、怒りの感情から逃れることができない。文字通り、笑えない。笑おうとすると、引きつる。
その気分の悪さといったら、それこそプライスレスである。具体的な価値に換算できないものを補償できるわけもない。
怒りとは、本来的に常に爆発するもので、それは無限を志向する。宇宙のビッグバンと同じだ。爆発したが最後、膨張し続けて、もはや止めることはできない。
だから何よりもまず、怒らないこと。それがもっとも重要で、唯一の対処法である。
だけどやっぱり怒ってしまう我々は、その都度、さながら短パンTシャツで宇宙空間に投げ出されるようなものなので、まあ、もだえ苦しむ他ない。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
ご支援のお願い
もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。
Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com
ブログ一覧
-
ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」
2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
-
英語日記ブログ「Really Diary」
2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。
-
音声ブログ「まだ、死んでない。」
2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。
- 前の記事
- 生きたかったり、死にたかったりする。
- 次の記事
- 溺れない恋愛